
亀山宿
関宿のお隣・亀山宿は、亀山城のお膝元で、城下町として繁栄した。関宿ほど往時を偲ばせる町並みは残されていないが、武家屋敷跡などで面影にふれることができる。
- 「亀山(三重)駅」から徒歩11分
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関宿のお隣・亀山宿は、亀山城のお膝元で、城下町として繁栄した。関宿ほど往時を偲ばせる町並みは残されていないが、武家屋敷跡などで面影にふれることができる。
昔、街道の一里ずつに木を植え、道程の目印にしたのが一里塚。野村一里塚は県下12カ所の一里塚のなかで唯一現存し、樹齢400年のムクの巨木が植えられている。国指定の史跡。
江戸時代の町家を公開し、宿場の暮らしを再現した資料館。内部にはバッタリや蔀戸[しとみど]など町家特有の工夫が見られるほか、当時の生活道具が展示されている。
神亀5年(728)、聖武天皇の勅願で、行基が創建したとされる古刹。往時には七堂伽藍を有したが、たび重なる兵火で焼失。災禍を逃れた本尊は、当初薬師如来であったものを阿弥陀如来立像に改作したといわれる。高さ162cmの一木造[いちぼくづくり]。全身に木屎漆[こくそうるし]が塗られた立派な仏像は、国の重要文化財に指定されている。
天正18年(1590)に岡本良勝が築いた城。かつては5つの曲輪があり、櫓や門が立ち並んでいた。現在は石垣の上に多門櫓を残すのみだが、美しい石垣に往時の姿が偲ばれる。多門櫓は約1年半に及ぶ「平成の大修理」を経て、江戸時代後半の姿に復元された。また三重県内で唯一残る江戸時代の城郭建造物として、三重県史跡及び三重県有形文化財建造物に指定されている。
記紀では、日本武尊が東征の帰途、亀山で終焉を迎え、魂は白鳥と化して大和へ向かったとされている。市内北東部にあるこの墓は、ミコトの墳墓の地と伝えられ、神社や公園がある。
三重のご当地グルメが楽しめるPA。おすすめは「松阪肉の牛丼」。注文を受けてから1人前ずつ作る手間もコストもかかった逸品。松阪牛で有名な津市の朝日屋から仕入れた松阪牛100%使用の牛丼を、リーズナブルな価格で味わえるのが魅力。ほかには「伊勢美稲豚生姜焼き定食」もおすすめ。24時間営業の「ミニストップ」があるほか、上り線とは自動車専用の跨道橋で結ばれており、隣接する「亀山サンシャインパーク」を利用できる。24時間利用可能なスマートICや「ぷらっとパーク」も併設されている。
高塚池を囲む緑豊かな県営公園「亀山サンシャインパーク」が隣接しており、三重県内で唯一のハイウェイオアシスのあるパーキングエリア。三重のご当地グルメが楽しめるPAで、おすすめはちょっと贅沢な「松阪肉の牛丼」。注文を受けてから1人前ずつ作るこだわりの逸品。松阪牛で有名な津市の朝日屋から仕入れた松阪牛100%使用の牛丼をリーズナブルな価格で味わえるのが魅力。24時間利用できるスマートICが併設されているほか、一般道からも出入りできる「ぷらっとパーク」(7時30分~20時30分)がある。
東海道47番目の宿場町で交通の要衝として栄えた関宿。国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定された1.8kmの町並みは、宿場町の旧態をとどめている。
東西約1.8kmにわたる旧街道の東西の入口が追分だ。東追分は東海道と伊勢別街道の分岐点で、今も残る大鳥居は伊勢神宮を遥拝するもの。20年に一度の遷宮の際、宇治橋南詰の鳥居を譲り受けて移設される。西追分は東海道と大和・伊賀街道の分岐点で、元禄時代の石碑が残る。
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