
刺子館
江戸時代に建てられた新潟の庄屋屋敷を移築し、展示館として利用している。2階と3階に、刺し子作家銀座亜紀枝[ぎんざあきえ]の刺し子作品約200点を展示。草木染めや藍染めの木綿に、一針一針手刺しされた着物や小物類は、独特の存在感がある。所要30分。
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
江戸時代に建てられた新潟の庄屋屋敷を移築し、展示館として利用している。2階と3階に、刺し子作家銀座亜紀枝[ぎんざあきえ]の刺し子作品約200点を展示。草木染めや藍染めの木綿に、一針一針手刺しされた着物や小物類は、独特の存在感がある。所要30分。
保元元年(1156)、保元の乱に敗れ、大島に流刑された源為朝の住居跡といわれるところ。大島を本拠に近隣の島々まで勢力を広げた。島民からは赤門で親しまれ、朱塗りの門や戦に備えた物見台、為朝神社、海に通じる抜け穴などが今も残されている。
釜の淵公園内にある、19世紀初頭のものと推定される農家。市内北部の山あいに残った住宅を移築したもので、広間形とよばれる部屋の間取りが特徴。杉皮と茅を混ぜて葺いた、山村特有のトラ葺屋根が目を引く。
青梅街道沿いに残る、江戸後期建築の土蔵造の店蔵。街道に面した狭い間口いっぱいに土間をもつ前土間形式で、梁や柱には奥多摩のシオジ材が使われた。当時有数の豪商だった稲葉家は、材木問屋や青梅縞の仲買問屋を営み、明治後期まで商売を続けた。
波浮港には現在も古い木造家屋の町並みがわずかに残り、港東側の界隈を「踊り子の里」と呼んでいる。丘中腹の旧港屋旅館は、資料館として当時のままの姿で保存・公開。『伊豆の踊り子』の旅芸人一座が芸を披露したことで知られ、華やかな往時の宴の様子を人形を使い再現している。千鳥破風入母屋造り、木造3階建の建物は風の強い大島では珍しい建築物。背後の丘上にある明治時代の網元の屋敷跡・旧甚の丸邸は石造り2階建て。なまこ壁の外壁や、島外から取り寄せた木材で組んだ梁や柱、大谷石の外塀など、豪勢な暮らしぶりを垣間見れる。
天明5年(1785)に起きた天明の大噴火で、生き残った島民全員が八丈での避難生活を余儀なくされた時に、困難な生活を強いられた人々をまとめあげ、50年後に旧島民の帰島を果たした佐々木次郎太夫の屋敷跡。数年前まで建物が残っていたが、台風で崩壊してしまい、現在は玉石垣が残るだけだが、うっそうとしたソテツの大木や整然と積まれた石垣に往時を偲ばれる。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。