
小塚原刑場跡
鈴ケ森、大和田と並び、江戸の三大刑場のひとつ。南千住駅の西側、延命寺のあたりに存在した。寺の境内には首切地蔵が残される。隣の南千住回向院には、安政の大獄で処刑された、吉田松陰ら志士たちの墓や杉田玄白らが解剖(腑分け)見学をきっかけに『解体新書』を刊行したことを記念した観臓記念碑がある。
- 「南千住駅」から徒歩4分/「三ノ輪橋駅」から徒歩10分
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鈴ケ森、大和田と並び、江戸の三大刑場のひとつ。南千住駅の西側、延命寺のあたりに存在した。寺の境内には首切地蔵が残される。隣の南千住回向院には、安政の大獄で処刑された、吉田松陰ら志士たちの墓や杉田玄白らが解剖(腑分け)見学をきっかけに『解体新書』を刊行したことを記念した観臓記念碑がある。
現在、サンシャインシティのある場所には東京拘置所(時期によって巣鴨プリズン、巣鴨刑務所などとも)が置かれていた。戦後、極東国際軍事裁判の被告人とされた戦犯容疑者が収容されており、同裁判の判決後、ここで東條英機らA級戦犯7名を含む戦犯の死刑が執行された。処刑場だった辺りは東池袋中央公園となっている。
区内より移築した区指定有形文化財の旧長崎家住宅主屋と旧浦野家住宅土蔵などを展示している施設。江戸時代後期の姿に復原した旧長崎家住宅主屋では、土間にわらじや臼などの民具を展示しており、囲炉裏では火をたき、かつての暮らしの様子を伺うことができる。園内は主屋と土蔵の他に、畑や竹林などによって農家の屋敷構えを再現している。また、かつての暮らしで行われていた年中行事の再現、その他体験行事等を開催している。所要30分。
寛永7年(1630)に林羅山が上野忍ケ岡に建てた家塾が始まりで、現在は国の史跡に指定。元禄3年(1690)、徳川5代将軍綱吉によって湯島に創建された。寛政9年(1797)には、幕府直轄の学校「昌平坂[しょうへいざか]学問所」が併設された。現在の大成殿は、昭和10年(1935)に再建されたもので当時の規模を再現している。
近代建築の巨匠の一人、フランク・ロイド・ライトと、弟子の遠藤新が設計した、大正10年(1921)創立の女学校。使いながら重要文化財を維持保存する“動態保存”のモデルとして一般公開されていて、幾何学的な建具装飾や、水平線を強調した立面など、フランク・ロイド・ライト特有の建築美を間近で見ることができる。喫茶付見学チケットで入場すれば、かつての食堂でドリンクと焼き菓子を楽しめる。
芸術家・建築家の荒川修作とマドリン・ギンズによって建てられたアート作品ともいえる集合住宅。カラフルな色使いや球体・四角が積み重なった独創的な外観が一度見たら忘れられないインパクトを放つ。不定期で行われているたてもの見学会や3泊からのショートステイによって、中へ入ることができる。
都電に沿って流れる神田川にかかる橋。橋のそばには、江戸城を築いた太田道灌の「山吹の里」の逸話を伝える碑と説明板が立つ。
鎌倉時代から室町時代に武士階級が使った屋敷跡。崖面を切り崩す一大土木工事で、幅約50m、奥行き15m程度の平坦面を造成した場所に、12m×6m、深さ約1mの大型竪穴状遺構と、堀立柱建物跡が発見された。現在はガラス繊維補強セメントの被膜で遺跡全体を造形保存され、発掘当時の臨場感を体感できる。
釜の淵公園内にある、19世紀初頭のものと推定される農家。市内北部の山あいに残った住宅を移築したもので、広間形とよばれる部屋の間取りが特徴。杉皮と茅を混ぜて葺いた、山村特有のトラ葺屋根が目を引く。
旧永井家住宅は、町田市小野路町瓜生にあった民家を、永井氏から寄贈を受けた町田市が昭和50年(1975)に現在の地に移築復元した。このときの解体調査により、建物は17世紀後半(江戸時代初期)に建てられたことが判明するとともに、後世に大幅に手を加えられていることが明らかになったため、復元にあたっては横浜国立大学関口欣也助教授(当時)の指導のもと、建設時当初の姿に復元されている。内部は床一面に簾状のものが敷かれた「竹簾子床」(たけすのこゆか)などが特徴的で、むしろ敷の部屋をもつ当時の典型的な三間取型の民家となっている。
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