
岡倉天心記念公園
谷中銀座の南にある公園。日本近代美術の先駆者だった天心が、横山大観とともに設立した日本美術院の跡地である。園内に建つ六角堂には、平櫛田中[ひらぐしでんちゅう]作の天心座像が安置されている。
- 「千駄木駅」から徒歩6分/「日暮里駅」から徒歩8分
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
谷中銀座の南にある公園。日本近代美術の先駆者だった天心が、横山大観とともに設立した日本美術院の跡地である。園内に建つ六角堂には、平櫛田中[ひらぐしでんちゅう]作の天心座像が安置されている。
漱石が晩年を過ごした場所は、現在、一部が漱石公園として整備され、一般に公開されている。ここにあった漱石山房は東京大空襲で焼失してしまったが、漱石が寛いだ山房のベランダが再現されているほか、胸像や猫塚がある。新宿区立漱石山房記念館が隣接している。
文人趣味豊かな庭園として文化元年(1804)頃に創設。百花園とは「四季百花の乱れ咲く園」という意味とされ、四季の草花の野趣に満ちている。芭蕉句碑をはじめ数多くの碑が立つ。夏から秋にかけ伝統行事「虫ききの会」「月見の会」が催され夜間公開もある。1月下旬から3月上旬には20種以上の梅が、9月下旬頃には約30mにおよぶ萩のトンネルが、見頃を迎える。
元禄年間(1688~1703)に築造されたと伝えられる大名の庭園が墨田区に移管、復元されたもの。かつては隅田川の水を導き、潮の干満を利用した潮入り池泉回遊式庭園として知られていた。現在は、人口潮入式の池泉回遊式庭園として潮の干満を再現している。
江戸時代中期に下総国関宿藩主 久世大和守の下屋敷となり庭園のもとが形造られた。明治11年(1878)に三菱財閥の創始者・岩崎彌太郎がこの屋敷を含む周辺の土地を取得、造園を計画し、明治13年(1880)に「深川親睦園」として開園。木々の影を映す大泉水に全国の名石を配した回遊式林泉庭園。サトザクラや花菖蒲などの花も咲く。
荒川線新庚申塚の北側、白山通りに面した旧朝日中学校の敷地はかつて巣鴨撮影所があった場所だ。大正8年(1919)に天活(天然色活動写真)が撮影所を開設して以来、何度か持ち主が変わったが、昭和8年(1933)に大都映画が発足し昭和17年(1942)まで存続。年間100本余りの映画が製作され、戦前の映画界では製作本数最多を誇っていた。
松尾芭蕉は2度目の江戸入りの後、神田上水の改修工事にたずさわり、この地に4年間あまり住んでいた。後に芭蕉を慕う人々の手により、そのゆかりの地に龍隠庵と称する庵が建てられた。当時の建物は焼失しており、現在のものは戦後に建てられたものだ。庵内には句碑等が建てられている。
アール・デコ様式が美しい旧朝香宮邸を活用した東京都庭園美術館。国指定重要文化財の邸宅空間の中で行われる展覧会は、展示作品のみならず、見事な室内装飾も楽しめる。また、平成26年(2014)にはホワイトキューブのギャラリーを備えた新館が完成し、新たな創造空間が加わった。都心にあって緑豊かな庭園には、宮邸時代の面影を残す芝庭と日本庭園、そして西洋庭園の3つのエリアがあり、異なった趣で四季折々の景観を見せてくれる。庭園だけの入場も可能。
都立小金井公園内に位置し、江戸東京博物館の分館として設けられた野外博物館。江戸東京の歴史を物語る歴史的建造物を都内各地から移築・復元している。交番、銭湯、商家などの建物が30棟建ち並ぶ。
緑の芝生が広がり、心地よさ満点のこちらの公園を中心に、約700m四方ほどの一帯から、多くの遺跡が発掘された。特に古墳時代のものが多く、園内では当時の竪穴式住居や古墳を再現、展示している。伊興遺跡におけるこれまでの発掘状況を伝える解説や、古墳時代の伊興周辺をイメージしたジオラマ、実際に出土した土器を復元して紹介する展示館もあり、興味津々。いにしえに想いを馳せてみては。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。