旧岩崎邸庭園
三菱の創設者、岩崎家の旧本邸。敷地内には洋館、和館、撞球室(ビリヤード場)が現存し、重要文化財に指定されている。洋館はジョサイア・コンドルの設計により、明治29年(1896)に完成したもので、日本を代表する木造の西洋風邸宅。書院造りを基調とする和館との和洋併置式は、その後の日本の建築文化にも影響を与えている。
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三菱の創設者、岩崎家の旧本邸。敷地内には洋館、和館、撞球室(ビリヤード場)が現存し、重要文化財に指定されている。洋館はジョサイア・コンドルの設計により、明治29年(1896)に完成したもので、日本を代表する木造の西洋風邸宅。書院造りを基調とする和館との和洋併置式は、その後の日本の建築文化にも影響を与えている。
元禄年間(1688~1703)に築造されたと伝えられる大名の庭園が墨田区に移管、復元されたもの。かつては隅田川の水を導き、潮の干満を利用した潮入り池泉回遊式庭園として知られていた。現在は、人口潮入式の池泉回遊式庭園として潮の干満を再現している。
鈴ケ森、大和田と並び、江戸の三大刑場のひとつ。南千住駅の西側、延命寺のあたりに存在した。寺の境内には首切地蔵が残される。隣の南千住回向院には、安政の大獄で処刑された、吉田松陰ら志士たちの墓や杉田玄白らが解剖(腑分け)見学をきっかけに『解体新書』を刊行したことを記念した観臓記念碑がある。
京成柴又駅前では、寅さんが旅立つ前に故郷柴又を振り返っている「フーテンの寅」像と、寅さんの視線の先に立つ「見送るさくら」像がお出迎え。
荒川線新庚申塚の北側、白山通りに面した旧朝日中学校の敷地はかつて巣鴨撮影所があった場所だ。大正8年(1919)に天活(天然色活動写真)が撮影所を開設して以来、何度か持ち主が変わったが、昭和8年(1933)に大都映画が発足し昭和17年(1942)まで存続。年間100本余りの映画が製作され、戦前の映画界では製作本数最多を誇っていた。
アール・デコ様式が美しい旧朝香宮邸を活用した東京都庭園美術館。国指定重要文化財の邸宅空間の中で行われる展覧会は、展示作品のみならず、見事な室内装飾も楽しめる。また、平成26年(2014)にはホワイトキューブのギャラリーを備えた新館が完成し、新たな創造空間が加わった。都心にあって緑豊かな庭園には、宮邸時代の面影を残す芝庭と日本庭園、そして西洋庭園の3つのエリアがあり、異なった趣で四季折々の景観を見せてくれる。庭園だけの入場も可能。
約100年前まで上野に鎮座していた大仏。関東大震災で首が落ち、第二次世界大戦では、軍によって胴体が徴収されてしまったため、現在はお顔のみが残る。大仏に降りかかった幾多の災難から、「もうこれ以上は落ちない」として、合格祈願に来る受験生に人気。
桜新町駅の北東、かつての豊多摩郡渋谷町の町営水道施設として使用された給水塔。近代水道の父と呼ばれる中島鋭治博士の設計で、大正13年(1924)に完成した。鉄筋コンクリート造り円筒形の2基の配水塔は、「丘の上のクラウン」と呼ばれた通り、その上部に王冠を模した独創的な装飾が施され、大正ロマンを感じさせる。施設の敷地内部は非公開だが、今でも街のシンボルであり、「双子の給水塔」として親しまれている。平成24年(2012)、土木学会選奨土木遺産として認定。
世田谷城は、貞治5年(1366)、奥州吉良氏が築城したのが始まり。代々居城として栄えたが、天正18年(1590)、豊臣秀吉が小田原の北条氏を滅ぼしたとき、北条氏と親戚関係にあった吉良氏も運命をともにしたため廃城となった。現在は、昔の面影を残す土塁や空堀の一部が残っており、東京都指定文化財にも登録されている。昭和15年(1940)には、付近一帯が歴史公園として整備され、世田谷城阯公園として開園。樹木に覆われた自然豊かな公園として開放されている。
民芸運動の拠点として、柳宗悦[やなぎむねよし]らが昭和11年(1936)に開館。国内外の陶磁器、織物、染物、木漆工、絵画、竹工、金工、ガラスなど、約1万7000点を収蔵。3カ月おきに常時500点を展示する。日本民家の伝統を生かした蔵づくり風の建物は令和3年(2021)に東京都の指定有形文化財に登録された。栃木から移築された柳邸の一部、石屋根の長屋門は一見の価値がある。中でも陶磁器の「唐津鉄絵草文壷」は、国の重要文化財に指定されている逸品。所要40分。
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