秋月城跡
元和9年(1623)に黒田長政[くろだながまさ]の三男長興[ながおき]が秋月五万石を与えられて、寛永元年(1624)に築城した。現在は秋月中学校の敷地となり、大手門として使われた黒門や石垣、長屋門が当時の栄華を物語る。県指定史跡。
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													元和9年(1623)に黒田長政[くろだながまさ]の三男長興[ながおき]が秋月五万石を与えられて、寛永元年(1624)に築城した。現在は秋月中学校の敷地となり、大手門として使われた黒門や石垣、長屋門が当時の栄華を物語る。県指定史跡。
													門司港レトロ地区にある、明治45年(1912)に建築されたレンガ造りの重厚な建物。平成29年(2017)に関門“ノスタルジック”海峡として日本遺産に認定された42件の構成文化財のうちの一つ。休憩スペース、カフェがあり、ひと休みするのによい。第一船溜まりを見下ろす上階からの眺めは格別。
													慶長7年(1602)から7年の歳月をかけ細川忠興により築城された小倉城。4階よりも5階の方が大きい「唐造り」が特徴。失火や戦闘により焼失した後、昭和34年(1959)に再建された福岡県内では唯一の天守閣。高さは全国6位、1階の床面積も最大級で、国内では3番目の大きさを誇る。天守閣内はエレベーター完備。様々な展示やアトラクションを楽しみながら小倉藩の歴史が学べる。最上階は地元の有名カフェが出店するキャッスルカフェとなっている。縁の深い武将が登場する「小倉城武将隊」も大人気。
													秋月城跡にある、黒一色に塗られたかつての大手門。古処山城の搦手門[からめてもん]だったのを、黒田長興が入府した寛永元年(1624)に移されたという伝承も残っている。県指定文化財。
													陸軍第十二師団軍医部長として小倉に赴任した森鴎外が、明治32年(1899)から約1年半を過ごした家。書斎をはじめ、居間や台所など、当時の生活風景を再現している。旧居には代表的な著書や生い立ちを紹介した年譜を展示。ここでアンデルセンの『即興詩人』の翻訳を完成させたほか、小説『鶏』の舞台となった地としても知られ、表庭には小説に登場するキョウチクトウやシロサルスベリが茂る。所要15分。※森鴎外の「おう」の字は正式には區+鳥。
													明治時代の九州産業界の重鎮・松本健次郎が、明治41~45年(1908~1912)に住宅と迎賓館を兼ねて建てたもの。アール・ヌーボー様式を取り入れた洋館と、車寄せの玄関をもつ書院造の日本館が立つ。一般公開は年1回予定。食事は完全予約制で、ランチ・ディナー営業あり。
													秋月の中心部に位置する町家。2棟続きの建物を1棟に統合し、その後再び分割されたという平行2棟型の珍しい町家。寛政11年(1799)に建てられ、後年当初の建材を使って改築された東棟はどっしりしたたたずまい。普段は実際に生活が営まれているので外観のみの見学。県指定文化財。
													吉井の町並みにあり、明治期に建てられたといわれる入母屋妻入り建築。モルタルを使った腰部分以外はすべて白漆喰塗り。
													明治末期に料亭「懐月楼」として建造され、その後「松月」と名を替えた建物を改装した史料館。北原白秋をはじめ、木俣修、野田宇太郎、原田種夫など、柳川ゆかりの文人達のサロン的な場所であった。現在、彼らの残した色紙や写真などが展示され、当時の雰囲気を伝えている。
													門司の国道3号沿いに立つ銀行。かつて世界三大銀行の一つに数えられた旧横浜正金銀行の門司支店として昭和9年(1934)に建設。英国風古典主義のデザインでまとめられ、正面玄関の2本の円柱が印象的だ。現在北九州銀行門司支店として使われているため、見学は外観のみ。
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