
福岡城跡(舞鶴公園)
初代福岡藩主・黒田長政[くろだながまさ]が慶長6年(1601)から7年がかりで築城した福岡城は、大中小の天守台と47の櫓を配した壮大な平山城だった。現在は多聞櫓(重要文化財)と大手門、潮見櫓などが当時の面影をとどめている。周辺は舞鶴公園として整備。高台には展望台が設置され、福岡タワーやPayPayドームまで見渡せる。
- 「大濠公園駅」から徒歩13分/「赤坂(福岡)駅」から徒歩15分
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初代福岡藩主・黒田長政[くろだながまさ]が慶長6年(1601)から7年がかりで築城した福岡城は、大中小の天守台と47の櫓を配した壮大な平山城だった。現在は多聞櫓(重要文化財)と大手門、潮見櫓などが当時の面影をとどめている。周辺は舞鶴公園として整備。高台には展望台が設置され、福岡タワーやPayPayドームまで見渡せる。
天明4年(1784)、志賀島の農民甚兵衛が、大石の下から「漢委奴國王」金印を発見したと伝えられる所。能古島の也良岬を対岸に望む公園の入口には、「漢委奴國王金印発光之処」記念碑が建ち、園内には福岡の地と関係が深かった中国の古代史家で文学者でもあった郭沫若[かくまつじゃく]の詩碑や金印のレプリカ等が設置されている。卑弥呼の時代を思い起こさせる風景がそこにある。
玄界灘に面した丘陵地に点在する古墳群の総称。南北約8km、東西約2kmの広い範囲にわたって、勝浦高原古墳群、勝浦峯ノ畑古墳、新原・奴山古墳群、須多田古墳群、宮地嶽古墳、手光波切不動古墳など前方後円墳16基、円墳43基、方墳1基の総数60基から構成される。一部を除き国の史跡に指定されている。古墳は5世紀から7世紀に造られた。沖ノ島への信仰を育んだ古代豪族、宗像氏の墳墓群。中でも新原・奴山古墳群は世界遺産“「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群”の構成資産に登録されている。
電信電話の博物館。明治から現代までに活躍した電信・電話機等を展示、通信のあゆみが一目でわかる。街角で多くの人に親しまれてきたカラフルな公衆電話機は写真映えする人気のコーナー。かつての電話交換手の仕事が体験できるほか、レトロな電話機で会話を楽しんだり、モールス信号を打ったりできる。建物は大正13年(1924)「門司郵便局電話課庁舎」として建てられた100年前の技術の粋を集めた鉄筋コンクリート造り。正面は垂直線を基調に柱の反復がリズムを織りなす意匠で、門司港地区のレトロ建築を代表する建物のひとつだ。
みずほPayPayドーム福岡8番ゲート前に立つ鷹観世音大菩薩立像。平成17年(2005)に建立され、背後に大きく広げた鷹の羽のようなオブジェをもつ高さ2mのホークスの守護神で、この守護神がホークスを勝利に導いてくれる。王会長やホークスの監督・選手も、勝利の祈願に訪れるスポット。ここに訪れる人々の結縁や子授け、安産成就、学力向上なども祈念して建立されているのでドームを訪れたら参拝を。
門司港レトロ地区にある、明治45年(1912)に建築されたレンガ造りの重厚な建物。平成29年(2017)に関門“ノスタルジック”海峡として日本遺産に認定された42件の構成文化財のうちの一つ。休憩スペース、カフェがあり、ひと休みするのによい。第一船溜まりを見下ろす上階からの眺めは格別。
秋月城跡にある、黒一色に塗られたかつての大手門。古処山城の搦手門[からめてもん]だったのを、黒田長興が入府した寛永元年(1624)に移されたという伝承も残っている。県指定文化財。
寺町にある、江戸時代後期に活躍した上州(現在の群馬県)出身の尊皇家。寛政の三奇人といわれ、全国を遊歴して王政復古を唱えたが幕府の執政に絶望。寛政5年(1793)、身を寄せた久留米の医師・森嘉膳宅で自決。亡骸は寺町の遍照院に埋葬された。そばには彼の後を追って死んだ酒好きの西道俊のひょうたん墓が立っている。
屋号を「堺屋」と称し、代々酒造業で栄えていた木下家。その敷地と建物が所有者から八女市に寄贈され、文化財として一般に公開されている。明治41年(1908)建築の離れ座敷は、屋久杉の一枚板で作られた欄間や紫檀の床框[とこかまち]などが見られ、贅沢な造りとなっている。
久留米城跡は江戸時代、約250年間を治めた有馬氏の居城跡。藩祖有馬豊氏を祀る篠山神社があり、今も残る見事な石垣、内壕、井戸などが歴史を偲ばせている。春は桜がお濠に映り込み、8月には涼やかな音色の「鈴虫まつり」も。四季の彩りを感じながらの散策は心癒される。
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