
功山寺
元応2年(1320)に創建された古刹。仏殿(国宝)は鎌倉期のもので、わが国最古の唐様禅宗式建築。毛利元就に追われた大内義長はここで自刃した。幕末には京都を追われた三条実美等五卿が潜居していた寺で、高杉晋作が藩論統一(倒幕と維新に至る)を目指して決起した地としても知られる。境内には馬上姿の晋作像が立つ。春の桜、秋の紅葉が美しい。
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
元応2年(1320)に創建された古刹。仏殿(国宝)は鎌倉期のもので、わが国最古の唐様禅宗式建築。毛利元就に追われた大内義長はここで自刃した。幕末には京都を追われた三条実美等五卿が潜居していた寺で、高杉晋作が藩論統一(倒幕と維新に至る)を目指して決起した地としても知られる。境内には馬上姿の晋作像が立つ。春の桜、秋の紅葉が美しい。
慶応2年(1866)創建、長府藩歴代藩主を祀る神社。壇ノ浦の合戦時に源氏軍が集結した地としても有名な満珠・干珠が一望できる。風光明媚な場所。平成26年(2014)11月宝物館竣工。宝物館拝観は要事前連絡。拝観料大人200円、高校生以下無料。
住吉神社は神功[じんぐう]皇后の創建と伝わる長門國一の宮。緑に包まれた境内には厳かな雰囲気が漂う。室町時代初期の武将・大内弘世が応安3年(1370)に造営した本殿は九間社流造の珍しい造りで国宝。国指定重要文化財で一重切妻造、檜皮葺きの拝殿は室町時代末期の戦国大名・毛利元就が造営したもの。住吉大神を主神に祭り、厄払いや開運などにご利益があるとして祈願に訪れる人が多い。祈願は7000円から志しで。
平安時代の貞観元年(859)に宇佐神宮から勧請され、関の氏神として親しまれている。豊臣秀吉ゆかりの「太閤蘇鉄」や下関特産のフグを象った「ふくの像」、山口県出身の金子みすず、林芙美子文学碑など見どころも多い。
応永21年(1414)に大内持盛が開基した国清寺が前身で、慶長9年(1604)ここに葬られた長府藩主の姉の法名をとって妙青寺と改名された。本堂裏に池を配した雪舟庭園があり、5月上旬にはツツジが彩りを添える。御成門脇には、山頭火の句碑「湧いてあふれる中にねている」が立つ。
寿永4年(1185)、壇之浦の戦いに敗れて入水した平清盛の孫・安徳天皇を祀る。二位の尼(清盛の妻)は、8歳の天皇に「波の下にも都の侍ふぞ」と言い聞かせて壇之浦で入水したという。朱塗りの水天門はその「波の下の都」を思わせる華やかな龍宮造。隣接地に安徳天皇御陵、境内には平家の武将の墓碑・七盛塚[ななもりづか]、小泉八雲の『怪談』で有名な耳なし芳一の像を安置する芳一堂、『紙本墨書平家物語20冊』(重要文化財)などを収蔵する宝物館がある。
源平の戦いでは源義経が戦勝祈願をし、明治維新では高杉晋作の奇兵隊の結成など、歴史上の大きな転換点を見守ってきた由緒ある神社。目印の長い階段を昇ると拝殿にたどり着く。義経をモチーフにした勝守[かちまもり]がある。
高杉晋作の発起により創建された日本初の招魂場。境内には吉田松陰・高杉晋作をはじめ無名の志士も当時の身分制度に関わらず平等に祀られている。この考えが靖国神社のもとになったといわれている。
第14代仲哀天皇、神功皇后が九州平定の際ここに豊浦宮を建て、7年滞在したといわれる。毎年8月7日から7日間、天下の奇祭といわれる数方庭[すほうてい](山口県無形民俗文化財)を開催。竹ののぼりを持ち、練り歩く様子が見られる。
長府毛利家3代綱元が元禄11年(1698)に創建した長府毛利家菩提寺。日本画の巨匠・狩野芳崖、乃木将軍の銅像があり、付近は和銅元年(708)鋳造の貨幣、和同開珎の鋳銭所跡(史跡)で、古銭やフイゴなどが発見された。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。