
太山寺
第52番札所。創建は用明2年(586)と伝えられ、本堂(国宝)は嘉元3年(1305)の建立で入母屋造本瓦葺。本尊は50年に1度、御開帳の秘仏。平成26年(2014)が御開帳に当った。仁王門と木造十一面観音立像は重要文化財。
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第52番札所。創建は用明2年(586)と伝えられ、本堂(国宝)は嘉元3年(1305)の建立で入母屋造本瓦葺。本尊は50年に1度、御開帳の秘仏。平成26年(2014)が御開帳に当った。仁王門と木造十一面観音立像は重要文化財。
加藤嘉明が築城の際、寺町をつくるため、旧城下の松前町から移した浄土宗寺院。江戸時代後期につくられた庭園は風情豊か。秋の紅葉時の庭園は見応えがある。境内には正岡子規、松尾芭蕉、種田山頭火等の句碑がある。
大国主命と少彦名命を祭り、昔から地震などで温泉の湧出が止まった時に湯祈祷をしてきた。成人の日とその前日に初子祭が行われ、餅まきなどで賑わう。
創建は平安時代にさかのぼる古社。現在の社殿は寛文7年(1667)に当時の藩主松平定長が江戸城で行われた流鏑馬[やぶさめ]の必中祈願成就のお礼に建て替えたもの。京都の石清水八幡宮[いわしみずはちまんぐう]を模したもので、金箔貼りの柱と細密な彫刻が施された総檜皮葺の本殿など八幡造りの社殿(重要文化財)は、安土桃山時代の建築様式を現代に伝えている。重要文化財の太刀も所蔵(県美術館に寄託)。
西法寺本堂前にあるウスズミザクラ(薄墨桜)は、今から1300年前、天武天皇より、皇后の病気平癒祈祷のお礼に、薄墨の綸旨と共に桜の木を1本下賜されたことからウスズミザクラ(薄墨桜)と呼ばれている。学名を「イヨウスズミ」といい、八重咲きで花弁は小さく上品な桜である。松山市指定天然記念物になっている。
聖武天皇の勅願所で、行基が刻んだ阿弥陀如来像が本尊。寺宝は慶安3年(1650)に家次という町人が納めたという銅板製の納札で八十八ヵ所で最古のものとか。大師堂横にはキリシタン灯籠が立つ。
末広学校は正岡子規が最初に入った寺子屋式の小学校で、のちに智環学校と名前が変わる。かつては正岡家累代の墓があったが、昭和2年(1927)に正宗寺に移された。年末の除夜の鐘は自由に参加できる。その後、新春祈祷のおつとめにも参加可。
四国霊場八十八カ所第49番の札所。天平年間(729~749)の創建で、空也上人が天徳年間(957~961)に逗留したと伝わる。本堂と木造空也上人像(拝観不可)は、国指定の重要文化財。本堂は和様と唐様の折衷建物で国の重要文化財。浄土寺の南約3kmには、天平13年(741)に創建された第48番札所の西林寺がある。また、浄土寺から県道40号を北上すると第50番札所の繁多寺もある。
時宗の開祖、一遍上人の修行の場として知られる。現在の伽藍は、江戸時代の名僧・龍湖が再建したもの。聖天堂は夫婦和合や商売繁盛などにご利益ありとか。
四国霊場第51番札所であり四国遍路のルーツともいわれる衛門三郎[えもんさぶろう]ゆかりの寺。神亀5年(728)に伊予大領越知玉純[おちたまずみ]が創建。本堂、三重塔、鐘楼、五輪塔、訶梨帝母天堂[かりていもてんどう]、護摩堂、梵鐘はすべて重要文化財。文保2年(1318)再建の仁王門(国宝)は、重層の楼門で特に蟇股[かえるまた]が美しく、左右に翼廊・高欄が巡る。仁王門の左右金剛力士像は運慶一門の作といわれる。
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