
稲根神社
島の産土神を祀る稲根神社は延喜式にも記録が残る古社で、明治初期の廃仏毀釈令によって、全島民が稲根神社の氏子とされて以来、氏神様として厚い信仰を集めてきた。玉、剣、鏡の三種の神器は島南部の稲根ケ森の中にある本殿に祀られているが、島人が日常お参りするのは里にある拝殿で、毎年8月第1土・日曜に行われる例大祭は、この拝殿を中心に神輿の巡行が行われ島中が沸き立つような活気を見せる。また、江戸時代の画家英一蝶の筆による、板絵着色神馬図額なども奉納されている。
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島の産土神を祀る稲根神社は延喜式にも記録が残る古社で、明治初期の廃仏毀釈令によって、全島民が稲根神社の氏子とされて以来、氏神様として厚い信仰を集めてきた。玉、剣、鏡の三種の神器は島南部の稲根ケ森の中にある本殿に祀られているが、島人が日常お参りするのは里にある拝殿で、毎年8月第1土・日曜に行われる例大祭は、この拝殿を中心に神輿の巡行が行われ島中が沸き立つような活気を見せる。また、江戸時代の画家英一蝶の筆による、板絵着色神馬図額なども奉納されている。
平将門が承平年間(931~937)に創建したとされる真言宗の古刹。将門が願いを託して庭に植えたと伝わる「誓いの梅」は、熟さずに青いまま実を落とす。これが青梅の名の由来になったとか。境内には四脚門の表門などの文化財や枝垂れ桜があり、国指定重要文化財の絹本着色如意輪観世音像なども所蔵している。
杉の大木に囲まれて立つ真言宗の古刹。大化年間(645~650)の創建といわれ、広い境内には国の重要文化財である茅葺きの仁王門や本堂、阿弥陀堂などが点在する。花の寺としても有名で、特に本堂裏のすり鉢状の斜面を覆う約2万本のツツジは見事。4月中旬~5月上旬にはつつじまつりが開催される。5月3日に行われる火渡り荒行も一見の価値がある。参道のアジサイは6月下旬が見ごろだ。
ままごと屋から楓橋を渡ると、小高い丘の上に小さなお寺がある。御本尊は中国寒山寺から渡った釈迦牟尼像で、小さいながらも趣のある佇まい。本堂の格天井や、楓橋[ふうきょう]のたもとにある鐘楼の天井絵が美しい。
長徳年間(995~998)に寛朝が開山したといわれる寺。境内にあるシダレザクラは樹齢約150年ともいわれ、市の天然記念物に指定されている。地面につくほど見事に枝垂れ、その枝にはきれいな桜が咲き誇る。東京都内でも有数の名桜とされている。
崇神[すじん]天皇の時代の創建と伝わる古社で、関東の霊山信仰の要地。境内には都の有形文化財である旧本殿が立ち、宝物殿には国宝の赤糸威大鎧[あかいとおどしのおおよろい]などが収められている。毎年6月と10月の第3日曜には、都の無形文化財・太々神楽が公開される。
平安から室町時代に作られた銅鏡群(東京都有形文化財指定)が発見されたことで知られる神社。発掘によって出土した和鏡は祭祀のために使われたと推定されている。鳥居をくぐって玉石を三列に敷きつめた参道を上がると社殿である。この玉石や石垣は浜から石を運びくみ上げたもの。素朴な造りの神社である。
明神様と親しまれる利島の氏神様を祭る神社。社殿の建造は宝暦10年(1760)と伝わり、利島では最古の建造物だ。また、旧本殿は離島における数少ない江戸時代末期の神社本殿建築として国の文化財に登録されている。祭神の阿豆佐和気命は、伊豆諸島を造ったといわれる事代主命の子。島の南岸、宮塚山の中腹に本宮があるが、参拝に不便なので麓のこの場所に移された。
寺伝では建武元年(1334)に足利尊氏が建立し、南北朝第一代の光厳天皇が名前の由来という。都の天然記念物に指定されている推定樹齢400年のヤマザクラは、目通りの幹回り5.3mにおよび、都内のソメイヨシノより2週間遅れで開花を迎える。
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