波除稲荷神社
江戸時代からある厄除け神社で、境内には大きな獅子頭2体が納められている。すし塚などの塚も多く残る。おみくじは大黒や招き猫、熊手と小判など全13種類ある。
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江戸時代からある厄除け神社で、境内には大きな獅子頭2体が納められている。すし塚などの塚も多く残る。おみくじは大黒や招き猫、熊手と小判など全13種類ある。
明治7年(1874)、谷中天王寺と寛永寺の敷地を東京市が引き継ぎ、谷中墓地として開設。10万平方mを超える園内には、長谷川一夫[はせがわかずお]、横山大観[よこやまたいかん]、鳩山一郎[はとやまいちろう]など、多くの著名人が眠る。幸田露伴[こうだろはん]の小説で有名な谷中天王寺の五重塔跡もある。
千葉県成田市の大本山成田山新勝寺の東京別院であり、古くから「深川のお不動様」と親しまれてきた。開創は成田山のご本尊を江戸に特別拝観した、元禄16年(1703)とされる。大本山の御本尊は嵯峨天皇の勅願により弘法大師が一刀三礼敬刻開眼した不動明王の御霊像で、深川不動堂の御本尊である不動尊像は、それを勧請した御分身。大本山と同様、毎日お護摩を厳修し、諸願成就を祈念。開創310年記念事業として建立された新本堂には、御本尊の不動尊像のほかに「祈りの回廊」として小型のクリスタル五輪塔が約1万体も並ぶ。
明治2年(1869)に明治天皇の思し召しにより創建された「招魂社」が始まり。幕末の志士から大東亜戦争までの戦歿者246万6千余柱を祀る。境内には、東京管区気象台が開花を観測するために指定する桜の標本木があり、桜の名所としても知られる。「遊就館[ゆうしゅうかん]」では神社ゆかりの宝物や祭神である戦歿者の遺書・遺品、零戦などの貴重な史資料を展示。初詣、春秋の例大祭、夏のみたままつりなど年間500万人の参拝者が訪れる。境内各施設を解説する「境内モバイルガイド」をスマートフォンやタブレットにて閲覧可能(データ通信料がかかる)。
「毘沙門様」として親しまれている日蓮宗の寺。毘沙門天は多聞天ともいわれ、七福神の一人でもある。文禄4年(1595)の創建以来安置されている毘沙門天像は、新宿区の文化財に指定されている。
寛治6年(1092)に源義家と澁谷氏の祖・河崎基家によって渋谷城内に祀られたのが始まり。神社名は八幡宮ゆかりの基家の孫・渋谷金王丸常光から。朱色が鮮やかな神門と社殿は、慶長17年(1612)の建立で渋谷区指定文化財。徳川家光の乳母春日局と教育役であった青山伯耆守忠俊が、家光の三代将軍就任を祈願し、その願いが成就したことから寄進したという。境内には、江戸三名桜の1つに数えられる「金王桜」がある。源頼朝が金王丸をしのんで植えたもので、代々植え継がれ守り継がれている。
400年ほど前、3代将軍・徳川家光の時代に創建された日蓮宗の寺社。季節の花を浮かべた色鮮やかな花手水や、繊細で美しい切り絵御朱印が人気で、国内外から多くの人が訪れる。
寛永4年(1627)、長盛法印が霊夢に感じ永代島周辺の砂洲一帯を埋立て、社地と氏子の居住地帯を開き創建。源氏の流れを汲む徳川将軍家は、源氏の氏神である八幡宮をことのほか尊崇。将軍をはじめ一門がしばしば参拝し、社殿の造営修理を行うなど手厚く保護した。社殿は、昭和31年(1956)の再建。江戸三大祭りの一つ、深川八幡祭りで有名。定期的な勧進相撲は貞享元年(1684)、ここの境内で始まった。境内には横綱力士碑が立つ。
西側にある「金王八幡宮」の兼務社で、鎌倉時代に金王八幡宮ゆかりの河崎基家の曾孫・澁谷高重によって祀られたのが始まりという古社。当初は渋谷駅近くに鎮座して「田中稲荷神社」といわれていたが、後に道玄坂上の「豐澤稲荷神社」と合祀し、昭和36年(1961)には現在地に遷座して「豐榮稲荷神社」となった。石段を登ると朱色の鳥居群が社殿まで続く。境内の右手にある多くの庚申塔は江戸時代のもので渋谷区文化財に指定されている。
港区芝公園の中央部にあり、浄土宗七大本山の一つで、徳川家の菩提寺として知られる。明徳4年(1393)に創建され、徳川家康公ゆかりの秘仏「勝運・黒本尊」を祀り、二代将軍秀忠公をはじめ6人の将軍が埋葬されている。大殿地下1階の宝物展示室には、英国ロイヤルコレクション所蔵で、二代将軍御霊屋を10分の1で再現した「台徳院殿霊廟模型」などを展示する。
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