
葛西神社
平安時代末期の元暦2年(1185)、現在の葛飾区・江戸川区の全域とその周辺地域の総鎮守として創建された歴史ある神社。境内の「厳島神社」には、弁天様のお使いとして人々の願いを聴き届けるといわれる白蛇「撫で蛇様」が鎮座し、撫でることで招福開運の御利益にあずかることができる。
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平安時代末期の元暦2年(1185)、現在の葛飾区・江戸川区の全域とその周辺地域の総鎮守として創建された歴史ある神社。境内の「厳島神社」には、弁天様のお使いとして人々の願いを聴き届けるといわれる白蛇「撫で蛇様」が鎮座し、撫でることで招福開運の御利益にあずかることができる。
平安時代 延暦14年(795)創建、素盞雄大神と飛鳥大神を御祭神とする。荒川区内でもっとも広い氏子区域となる南千住・三ノ輪・三河島・町屋61ケ町の鎮守で、平成7年(1995)には御鎮座1200年祭が斎行された。境内には、当社創建の起源となった瑞光石[ずいこうせき]や、母乳の出ない婦人がその樹皮を煎じて飲み、絵馬を掛けて幼児の無事成長を祈ったと伝わる子育て銀杏、松尾芭蕉『奥の細道』旅立ちの句「行はるや鳥啼魚の目ハなみた」を刻む矢立初めの句碑(区指定文化財)などがある。毎年6月には二天神輿振りの天王祭(区登録無形民俗文化財)が斎行される。
柴又の顔ともいえる帝釈天は日蓮宗の古刹で、寛永年間(1624~44)の創建。映画シリーズ『男はつらいよ』で一躍有名となった。彫刻の寺としても知られ、帝釈堂の壁全体に刻まれた彫刻は、彫刻ギャラリーとして「法華経説話彫刻」などが公開されている。日蓮聖人が刻んだといわれる板本尊のほか、祖師堂や鐘楼、開山堂、回遊式の庭園「邃渓園[すいけいえん]」など、みどころも多い。年6回の縁日(庚申の日)には多くの参拝客で賑わう。
東京における伊勢神宮の遥拝殿として明治13年(1880)に創建され、「東京のお伊勢さま」と称され親しまれている。神前結婚式創始の神社でもあり、今もその伝統的な結婚の儀式を守り伝えている。また、結びの働きを司る造化の三神があわせ祀られていることから、縁結びの御利益がある神社としても知られ、良縁を願う参拝者が多く訪れる。
菅原道真公を祀っていることから学問の神様として知られ、境内に咲く「湯島の白梅」とともに、毎年春には多くの合格祈願者や観梅者が訪れる。泉鏡花の『婦系図[おんなけいず]』に登場することでも有名。宝物殿も併設。
飛鳥山と三ノ輪橋を結ぶ王子電気軌道(現・都電荒川線)が開通した翌年の大正3年(1914)、碩運寺の住職が井戸を掘ったところラジウムを含む鉱泉が発見された。そこで境内に「寺の湯(のちの不老閣)」を開業。ここを核に周辺には料理屋、芸妓屋、待合のいわゆる三業地が形成された。時を同じく「あらかわ遊園」が開園して、尾久周辺は郊外の一大歓楽地として発展したのだ。
1200年以上前、坂上田村麻呂によって開かれたと伝えられる古寺。幕末の上野戦争で戦死した彰義隊隊員をこの寺の住職が供養した縁から、もっとも激戦地だった寛永寺の総門(黒門)が境内に移築されている。多数の生々しい銃弾の跡が残る黒門は、戦いの激しさを今に伝えている。
正式名は五智山遍照院總持寺といい、真言宗豊山派の寺院。弘法大師(空海)が関東巡錫の折、この地で悪疫に苦しむ人々を救わんと十一面観音様をお造りになり、21日間の祈祷を行ったところ、枯れ井戸から清らかな水が沸き、病が平癒したと伝えられている。この井戸がお堂の西側にあったことが「西新井」の地名の由来といわれている。
応永22年(1415)に創建。慶長7年(1602)徳川家菩提寺に。広大な墓所には家康公の生母・於大[おだい]の方や、2代将軍秀忠公の娘・千姫[せんひめ]のほか、徳川家ゆかりの女性が眠る。また、歴史小説で知られる作家、柴田錬三郎らの墓もある。
日蓮宗の寺として天正18年(1590)に創建され、目黒区八雲で430年余の時を刻んで来た。「大いちょうの寺」としても知られ、境内にある大きなイチョウは目黒区最大級のものであり、東京都および区の保存樹に指定されている。祈り、学び、修行の場として、また花まつりやお会式を行い、さまざまな文化活動の場として、ヨガスクールや茶道教室、落語会、童話朗読会などの活動やイベントが行われている。墓地入口に「広島被爆子育て地蔵尊」が奉安されている。
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