
叡福寺(聖徳太子御廟所)
太子町内で一段と目立つ、ベンガラ塗りの南大門をくぐると白砂の境内が広がり、奥に見える原生林の森が聖徳太子の御廟。そこには太子と共に妃と母も埋葬され、三骨一廟と言われている。その霊廟守護のため造営されたのが叡福寺であり、河内三太子の一つ「上之太子」と言われている。毎月11日には豊臣秀頼再建による「聖霊殿」(重要文化財)で太子会が勤められる。
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太子町内で一段と目立つ、ベンガラ塗りの南大門をくぐると白砂の境内が広がり、奥に見える原生林の森が聖徳太子の御廟。そこには太子と共に妃と母も埋葬され、三骨一廟と言われている。その霊廟守護のため造営されたのが叡福寺であり、河内三太子の一つ「上之太子」と言われている。毎月11日には豊臣秀頼再建による「聖霊殿」(重要文化財)で太子会が勤められる。
奈良時代の天平16年(744)に聖武天皇の勅願があり、行基により開かれた古刹。聖観世音菩薩を本尊に祀り、厄除け開運の寺として信仰されている。
仁和2年(886)に建立されたが、信長の茨木合戦で焼失。慶長8年(1603)に豊臣秀頼が再建した。毎年4月には寺に伝わる山蔭流包丁式があり、全国から料理人が集まる。西国三十三所第22番札所。
南北朝時代の四條畷の合戦で敗れた小楠公・楠木正行[くすのきまさつら]を祭る。境内には小楠公の御母堂を祭る御妣[みおや]神社がある。約500本のソメイヨシノが咲く神社としても知られている。
聖武天皇の勅願により行基が開基。後白河法皇の妹、八条女院が弘法大師像を安置し、女性が仏縁を結ぶ霊場として「女人高野」と呼ばれる。宝物館には仏教美術品を奉納。周辺は天野山森林公園でハイキング途中の参拝客も多い。
およそ250年前、歌人「今西行」と呼ばれた似雲が、西行の墓を発見し、周辺にお供えとして植えた桜及び西行800年忌に植えられた桜がある。本坊庭園には樹齢約350年の天然記念物かいどう(4月上旬~中旬見頃)があり、春と秋には西行記念館を開館している。
通称・蘇鉄寺として有名。境内には樹齢1100年といわれる高さ8mのソテツがあり、国の天然記念物に指定されている。織田信長が安土城に移したが、「堺へ返りたい」と蘇鉄が泣き、元へ戻されたという伝説が残る。堺事件で土佐藩士11人が切腹した場所でもある。小堀遠州が手を入れたと伝わる枯山水の庭は室町時代の作造(堺市名勝指定)。堂内は撮影禁止。
徳川家康の禁教令により追放された、高槻領主のキリシタン大名、高山右近を記念して建てられた教会。追放先のマニラの大聖堂を模して造られている。聖堂の前には祈りを捧げる右近の像がある。
大阪平野の東、奈良盆地との境に連なる生駒山麓の聖域「神津獄」を本宮とする世界最古の古社の一つ。奈良の春日大社はこの社の二神を勧請したということから「元春日」とも呼ばれる河内国一之宮。境内には梅、桜や季節の草花が咲く「枚岡梅林」がある。
弘仁12年(821)弘法大師により開創。本尊不動明王および脇侍二童子像は国指定重要文化財。眼病平癒・厄除開運のご利益があると言われ、本堂では日々護摩祈祷の炎が途絶えることがない。毎月28日不動明王の縁日は多くの参詣者でにぎわう。
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