
水茎焼陶芸の里
琵琶湖をイメージした淡水色の焼き物で知られる、水茎焼の作陶体験ができる。手廻しロクロ1650円~、電動ロクロ2200円~(送料別途)、絵付770円~。インストラクターが手伝ってくれるので初心者でも安心。2階には近江八幡の郷土料理や近江牛のバーベキュー、しゃぶしゃぶ(要予約)が楽しめるカフェレストランもある。
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琵琶湖をイメージした淡水色の焼き物で知られる、水茎焼の作陶体験ができる。手廻しロクロ1650円~、電動ロクロ2200円~(送料別途)、絵付770円~。インストラクターが手伝ってくれるので初心者でも安心。2階には近江八幡の郷土料理や近江牛のバーベキュー、しゃぶしゃぶ(要予約)が楽しめるカフェレストランもある。
江戸時代末期に、森五郎兵衛家の控宅として作られた民家で、昔の商家の様子を再現。室内は質素ながらも美しく、帳場や商人の営業道具が展示され、近江商人の生活ぶりを知ることができる。
織田信長の居城。安土山に天正4年(1576)に築城を開始し、天正7年(1579)に信長が入城した。外観5層内部7階(地上6階地下1階)の華麗な天主をもっていたとされる城は、本能寺の変の数日後、完成からわずか3年で焼失。現在は、天主台、本丸、二の丸などに石垣が残るのみだが、平成元年(1989)から20年にわたり発掘調査・環境整備が行われ、国の特別史跡に指定されている。登り口から天主跡までは徒歩約30分。
安土城炎上の3年後に秀次が築いた居城。秀次のあと京極高次が入るが、やがて廃城となった。現在は石垣を残すのみだが、本丸跡には秀次菩提寺の村雲御所瑞龍寺が京都から移築されている。
近江八幡の町は、天正13年(1585)に豊臣秀次が開いた八幡山城の城下町として築かれたのが始まり。八幡堀をはさんだ北側が武士の居住地域、南側は町人の町。町人が住む地域はさらに西が商業地域、東が職人地域に分けられた。現在の新町通りはかつての商業地域。畳表などを扱う豪商の邸宅だった、旧西川家住宅などが公開されている。邸宅には卯建があがり、家並みの塀越しに松がのぞくなど、情緒ある風景が続く。重要伝統的建造物群保存地区に選定。
主な事業は、プロが行うコンサートや演劇。さらにもっと身近な発表や展示会、会議や練習などでも利用できるように、各施設の貸し出しを行っている。主に、コンサートや演劇などで使用される収容定員1130名の大ホール、発表会や式典などで使用される収容定員300名の小ホールその他、48名・24名定員の会議室、応接セットが置いてある特別室、ピクチャーレールが設置されている展示室、60名定員のオーケストラ練習室、畳が敷いてある練習室(15畳)が1つ、12名定員の練習室が2つある。
聖徳太子が建立したと伝わる古刹。平安時代になると、万事吉祥縁結びの祈祷道場として広く信仰を集めた。参道の石段が険しいことで知られ、西国三十三カ所の中でも最大の難所といわれてきたが、現在は車で山頂近くまで行ける。平成5年(1993)に本堂・本尊が焼失し、平成16年(2004)落慶。インド政府の特別許可で輸入した白檀香木で造立した、丈六千手観音座像が現在の本尊だ。寺の奥には、戦国武将佐々木六角氏の居城・観音寺城跡がある。
西川利右衛門家は約300年にわたり活躍した、近江八幡を代表する豪商の一人。京風で統一された造りは質素ながらも洗練された趣があり、当時の繁栄ぶりを伝えている。国指定重要文化財。
文政10年(1827)から天保11年(1840)にかけて建築された近江蚊帳の工場を、明治時代に小学校や役場として改築。平成9年(1997)までは図書館としても利用された。館内には昔の近江八幡の文化や暮らしに関する展示もある。
天正9年(1581)、信長の命により、イタリア人宣教師オルガンチノが安土城の城下町に創建した日本最初のキリシタン神学校跡。現在では、安土城の外濠沿いに佇む公園として整備されている。
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