龍福寺
山口市街の大殿大路と堅小路に面した大内氏館跡に、大内氏滅亡後、毛利隆元が建てた大内義隆の菩提寺。明治14年(1881)焼失したが、明治16年(1883)に再建。その際に大内氏の氏寺から室町時代に建てられた興隆寺釈迦堂を移築し、本堂とした。風情のある檜皮葺きの本堂は国指定重要文化財。境内には、大内義隆画像などを展示する龍福寺資料館もあり、境内は春秋には新緑や梅花、紅葉が美しい。
- 「上山口駅」から徒歩9分/「山口(山口)駅」から徒歩22分
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山口市街の大殿大路と堅小路に面した大内氏館跡に、大内氏滅亡後、毛利隆元が建てた大内義隆の菩提寺。明治14年(1881)焼失したが、明治16年(1883)に再建。その際に大内氏の氏寺から室町時代に建てられた興隆寺釈迦堂を移築し、本堂とした。風情のある檜皮葺きの本堂は国指定重要文化財。境内には、大内義隆画像などを展示する龍福寺資料館もあり、境内は春秋には新緑や梅花、紅葉が美しい。
大正5年(1916)に建てられた、旧山口県庁舎と旧県会議事堂を公開した施設。武田五一らの設計による大正建築の粋を凝らした後期ルネッサンス様式の建築で、国の重要文化財に指定。玄関ホールや正庁会議室、議員控室の天井など、随所に凝ったデザインが見られる。議場、知事室などが見学できる。所要40分。
車エビをモチーフにした三角屋根が連なる建物では、各種エビの加工品が売られ、車エビのみそ漬けや活車エビを全国に発送してくれる。エビ焼き飯620円なども味わえる。
シダレザクラとソメイヨシノ等の桜並木が370m続く。参道両側のシダレザクラは、文政8年(1825)にはじめて植栽し、その後補植・新植と受け継がれ、県内きっての名桜として知られている。令和4年(2022)参道のしだれ桜並木が「徳佐(サクラ)」として、国指定名勝となった。
泉質の良さを温泉好きが口を揃えてうたう閑静な湯治宿・柚木慈生温泉で、日帰り入浴が可能。炭酸ガス、カルシウム、ナトリウム、重曹などの成分を豊富に含む。リチウムイオンは温泉基準法値の約3倍、炭酸水素は約5倍、遊離二酸化炭素約7倍という高濃度を誇る温泉だ。
新山口から津和野まで、62.9kmを走る。緑の田園や峠を約2時間かけて走るSL列車は、昭和54年(1979)山口線に復活して以来、変わらぬ人気で、迫力満点の重連運転も見ものだ。このやまぐち号を牽引して走るC57形1号機関車は、数ある機関車のなかでも「貴婦人」という愛称を持つほど優雅。客車は5両で、レトロな乗車空間に包まれながら、蒸気機関車の旅が楽しめる仕掛けが用意されている。
長門峡近くには3カ所の梨園があり、8月下旬から無くなり次第終了で20世紀や豊水のもぎ取り(持ち帰り1kg700円)が楽しめる。どこも入園大人800円で、園内食べ放題。国道9号沿いには組合の売店もある。
山口で晩年を過ごしたといわれる画僧・雪舟が、築庭した庭園(名勝)。大内29代政弘の別荘の庭として造られたが、後に妙喜寺という寺になり、さらに毛利隆元の法名により常栄寺と改称した。本堂北面に広がる庭園は、池の周囲に立石を配した池泉回遊式庭園。中国大陸を象徴する三山五嶽の石組みは、広大なイメージを無数の石で表現している。
野鳥観察エリアである約30万平方mの園内には淡水池や汽水池、干潟などが広がっており、カモ類やシギ類などさまざまな鳥が飛来しては、生息環境に応じた場所で羽を休めている。観察拠点のビジターセンターにはフィールドスコープが設置されているほか、その日どこにどんな鳥がいるかも図示。土・日曜、祝日にはレンジャーによる園内のバードウォッチングを実施しており、毎月第2日曜には、主催行事のバードウォッチング入門を実施している。
元亀3年(1572)創建後幾度もの変遷をへて、明治元年(1868)萩城内から移した毛利元就[もうりもとなり]の菩提寺。もともとここは応永11年(1404)大内盛見[おおうちもりはる]が建立した国清寺の跡で、どっしりとした四脚門の山門(重要文化財)は当時の遺構。桟唐戸[さんからど]や花頭窓[かとうまど]が美しい観音堂(重要文化財)は大内氏ゆかりの滝の観音寺の仏殿を移築したもの。
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