
一の坂川
古都の風情が残る市街地を穏やかに流れる川。大内弘世が京都を模して山口の街造りを行った際、京の鴨川に見立てたといわれる。川岸の桜並木も美しく、3月下旬~4月上旬の開花の時期にはライトアップも実施。初夏は国の天然記念物に指定されているゲンジボタルが幽玄の世界に誘う。周辺には古民家ショップが点在し、まち歩きも楽しめる。
- 「上山口駅」から徒歩12分/「山口(山口)駅」から徒歩17分
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古都の風情が残る市街地を穏やかに流れる川。大内弘世が京都を模して山口の街造りを行った際、京の鴨川に見立てたといわれる。川岸の桜並木も美しく、3月下旬~4月上旬の開花の時期にはライトアップも実施。初夏は国の天然記念物に指定されているゲンジボタルが幽玄の世界に誘う。周辺には古民家ショップが点在し、まち歩きも楽しめる。
山口の自然や歴史などを総合的に紹介する博物館。2階には理工、地学、植物、動物、考古、歴史、天文の各展示室があり、3階展示室では、夏休み期間中に親子で楽しめるテーマの大型展覧会や普段は収蔵されている資料を公開するテーマ展など、期間限定の展覧会を開催している。最新情報は山口県立山口博物館のホームページで要確認。
大内氏が山口に入る以前からあった古社で、応神天皇、仲哀[ちゅうあい]天皇、宇治皇子などを祀る。石段の上に立つおごそかな社は、社殿が一直線に並ぶ山口地方特有の建築形式。楼門・拝殿・本殿(すべて重要文化財)は、大内30代義興が再建したもの。裏手には毛利元就を祀る豊榮[とよさか]神社がある。
長州藩13代毛利敬親[もうりたかちか]が幕末の有事に備え、藩政の中心地を萩から山口へ移転。藩主住居の表門として石門が完成したが、第1次長州征討の際に破却された。明治維新後、改めて建設された藩庁門が山口県庁に現存。県指定重要文化財である。
山口市街の大殿大路と堅小路に面した大内氏館跡に、大内氏滅亡後、毛利隆元が建てた大内義隆の菩提寺。明治14年(1881)焼失したが、明治16年(1883)に再建。その際に大内氏の氏寺から室町時代に建てられた興隆寺釈迦堂を移築し、本堂とした。風情のある檜皮葺きの本堂は国指定重要文化財。境内には、大内義隆画像などを展示する龍福寺資料館もあり、境内は春秋には新緑や梅花、紅葉が美しい。
元亀3年(1572)創建後幾度もの変遷をへて、明治元年(1868)萩城内から移した毛利元就[もうりもとなり]の菩提寺。もともとここは応永11年(1404)大内盛見[おおうちもりはる]が建立した国清寺の跡で、どっしりとした四脚門の山門(重要文化財)は当時の遺構。桟唐戸[さんからど]や花頭窓[かとうまど]が美しい観音堂(重要文化財)は大内氏ゆかりの滝の観音寺の仏殿を移築したもの。
「西の伊勢神宮」ともよばれる古社。永正17年(1520)、大内氏30代の義興が伊勢神宮の御神霊を勧請して創建した。伊勢と同様に天照皇大神を祀る内宮と、豊受大神を祀る外宮があり、平成12年(2000)に遷宮された社殿は、白木がすがすがしい。付近には五十鈴川、伊勢橋、伊勢門前などの地名も残る。
瑠璃光寺の周辺一帯を整備した公園。園内には、国宝瑠璃光寺五重塔や幕末に毛利敬親公が茶事にことよせて藩士と討幕の策を練ったといわれる露山堂[ろざんどう]、薩長連合の志士が集った枕流亭[ちんりゅうてい]、明治時代以降の毛利家墓所、瑠璃光寺資料館(料金:大人200円、中・高生100円、小学生50円、時間:9~17時、無休)などがある。
直径34mの巨大パラボラアンテナがそびえる、KDDI山口衛星通信所に併設された見学者用施設。通信衛星の模型等が展示されており衛星通信や国際通信について学ぶことができる。そのほか、auの歴代携帯が展示されているコーナーもある。
山口で晩年を過ごしたといわれる画僧・雪舟が、築庭した庭園(名勝)。大内29代政弘の別荘の庭として造られたが、後に妙喜寺という寺になり、さらに毛利隆元の法名により常栄寺と改称した。本堂北面に広がる庭園は、池の周囲に立石を配した池泉回遊式庭園。中国大陸を象徴する三山五嶽の石組みは、広大なイメージを無数の石で表現している。
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