山口市歴史民俗資料館
山口市の歴史や民俗、考古などに関する資料を展示。天文3年(1534)、大内義隆が今八幡宮に寄進した鰐口[わにぐち](国指定重要文化財)や、大内氏館跡からの出土品、明治維新関連資料など展示品は多岐にわたる。随時企画展を開催。
- 「上山口駅」から徒歩23分/「山口(山口)駅」から徒歩25分
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山口市の歴史や民俗、考古などに関する資料を展示。天文3年(1534)、大内義隆が今八幡宮に寄進した鰐口[わにぐち](国指定重要文化財)や、大内氏館跡からの出土品、明治維新関連資料など展示品は多岐にわたる。随時企画展を開催。
毛利元就を祀る。もと萩城内にあったが、明治時代に現在地に移された。元就は郡山城増築の際、人柱に代えて「百万一心」と彫った石を埋めて一致協力の訓を垂れたといわれる。豊栄神社の絵馬殿には、その文字を写したという額が奉納されており、境内には石碑も立つ。隣接する野田神社には毛利敬親とその子の元徳が祀られている。
湯田温泉街の北東にある高さ40mほどの山。石段を上がった山頂に熊野権現を祭る熊野神社があることから、この名でよばれる。湯田温泉出身の詩人、中原中也はよく学校をさぼってはこの山に登り、市街を望んでいたという。また、成人後も帰省した折に、息子の文也を肩車して散歩に出かけたと言われている。
フランシスコ・サビエルは天文18年(1549)に来日、日本に初めてキリスト教を伝えたイエズス会の宣教師。西国一の大名だった大内義隆を頼って山口を訪れ、本格的な布教活動を行った。わずか5カ月ほどの滞在だったが、受洗者は500人を越えたといわれる。サビエル来訪400年を記念して建てられた聖堂は平成3年(1991)に火災で焼失。その7年後、高さ53mの2本の塔を持つ斬新なデザインの聖堂として再建された。1階にはサビエルの足跡と日本のキリスト教の歩みを紹介する資料があり、2階は光と水と幕屋をテーマとしたステンドグラスが美しい聖堂になっている。
新山口から津和野まで、62.9kmを走る。緑の田園や峠を約2時間かけて走るSL列車は、昭和54年(1979)山口線に復活して以来、変わらぬ人気で、迫力満点の重連運転も見ものだ。このやまぐち号を牽引して走るC57形1号機関車は、数ある機関車のなかでも「貴婦人」という愛称を持つほど優雅。客車は5両で、レトロな乗車空間に包まれながら、蒸気機関車の旅が楽しめる仕掛けが用意されている。
山口の自然や歴史などを総合的に紹介する博物館。2階には理工、地学、植物、動物、考古、歴史、天文の各展示室があり、3階展示室では、夏休み期間中に親子で楽しめるテーマの大型展覧会や普段は収蔵されている資料を公開するテーマ展など、期間限定の展覧会を開催している。最新情報は山口県立山口博物館のホームページで要確認。
日帰り入浴可能な温泉もある宿泊施設。周防灘を見下ろす露天風呂では、開放感が味わえる。近くには車エビ養殖場があり、絶品の車エビ料理を味わうことができる。
車エビをモチーフにした三角屋根が連なる建物では、各種エビの加工品が売られ、車エビのみそ漬けや活車エビを全国に発送してくれる。エビ焼き飯620円なども味わえる。
山口市と防府市の境にある、周囲約6kmの長沢湖に面した日帰り温泉施設。無色透明なラドン泉は肌に心地よく、広々とした浴場からは湖の雄大な景色が楽しめ、心身ともに癒される。シャンプー・リンス、石けん・ドライヤー常備。
元亀3年(1572)創建後幾度もの変遷をへて、明治元年(1868)萩城内から移した毛利元就[もうりもとなり]の菩提寺。もともとここは応永11年(1404)大内盛見[おおうちもりはる]が建立した国清寺の跡で、どっしりとした四脚門の山門(重要文化財)は当時の遺構。桟唐戸[さんからど]や花頭窓[かとうまど]が美しい観音堂(重要文化財)は大内氏ゆかりの滝の観音寺の仏殿を移築したもの。
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