
耶馬溪風物館
中津市の歴史的資料や古い民具などを展示している資料館。「青の洞門」のコーナーでは、江戸時代に約30年の歳月をかけて全長360mに及ぶ洞門を貫通させた僧、禅海の一生が紹介してあり、直筆墨書などが見られる。
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中津市の歴史的資料や古い民具などを展示している資料館。「青の洞門」のコーナーでは、江戸時代に約30年の歳月をかけて全長360mに及ぶ洞門を貫通させた僧、禅海の一生が紹介してあり、直筆墨書などが見られる。
深耶馬溪の大自然を望む、掛け流しの温泉を使用した中津市営の日帰り入浴施設。露天風呂と内湯を2つずつ完備する。耶馬溪の紅葉のシーズンには特に賑わう。
5月下旬~6月中旬にかけて、山国町藤野木地区や、槻木地区の山国川および山国川支流沿いでゲンジボタルが見られる。
職人の町として栄えた、新魚町にある中津藩主・奥平氏の菩提寺。境内にある大雅堂では、江戸中期の南画の大家・池大雅が残した書画47点を保存・展示している。心身ともに充実していた42歳ごろの作品で、これだけの作品が一堂に集まっているのは全国的にも珍しい。1階では寺の宝物を企画展示している。
景勝・耶馬溪に鎮座する1300年以上の古社。雄々しく聳える千年杉、また千年杉の御守、更に「千年杉の根くぐり」から御利益を頂けるとして、遠近から多くの参拝者が詰めかけるパワースポットとなっている。隣接する文化館「古民家カフェ・雲の森」では、雅楽の生演奏を聴くことができ、春や秋には様々な企画展なども行っている。7月29日の例大祭には、カッパの霊を鎮める神事があり、「河童楽」という珍しい鎮魂の楽が奏される。
天正18年(1588)、黒田官兵衛孝高(如水)が、山国川河口の地に築城し、その後、細川家、小笠原家と続き、享保2年(1717)から奥平家の居城となり、廃藩置県まで統治した。奥平家は産業振興、蘭学振興等を行い、前野良沢[まえのりょうたく]や福沢諭吉等を輩出する土壌となった。現在の城は、昭和39年(1964)に奥平家が中心となって中津市民の協力のもと、再建したもので、五層の天守閣と二層の櫓からなっている。内部は歴史資料館となっており、徳川家康拝領の白鳥鞘の鑓や歴代当主の甲冑や古文書等数多くの奥平家所蔵の品々を展示している。
明治の偉人、福澤諭吉が17~19歳まで過ごした木造茅葺きの旧宅(史跡)と、諭吉が勉学に励んだ土蔵が現存。記念館内では、『学問のすゝめ』の版本や数多くの遺品を展示している。所要30分。
切り立った凝灰岩と広葉樹林から成る渓谷。展望台から鳶ノ巣山、夫婦岩などの8つの岩峰を眺められることから、この名が付いた。秋は色鮮やかな紅葉が見事。
守実温泉からさらに山国川上流の英彦山[ひこさん]までの16kmに及ぶ渓谷。うっそうとした緑の中をくぐる魔林渓[まばやしきょう]や猿飛千壺峡などの名勝が続く。
江戸時代に仏門に入ったカッパが住んでいたという池と、その墓が残る寺。天保の飢饉のころ、人々が苦しんでいる横で相撲をとっていたカッパたちに、当時の住職が仏法を説いた。「千年生きている我々に文句を言うな」と最初はくってかかったカッパだったが、仏法の貴さに心を打たれ仏門に入る。その後、寺の池に住み、火事や水難から守ったとの言い伝えがあり、火難・水難除けのお守りもある。
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