
飛騨荘川の里
庄川河畔に、古くから伝わる家屋5棟を移築保存。その一つ旧三島家は、宝暦13年(1763)に建てられたもので、当初は寄棟式合掌造だったが、明治初期に切妻板葺きに改築。県内で最も早く四間取り形式を取り入れ、飛騨地方の民家の基本形となっている。旧渡辺家は寄棟式入母屋合掌造で、江戸時代末期の建築と推定されている。所要40分。
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
庄川河畔に、古くから伝わる家屋5棟を移築保存。その一つ旧三島家は、宝暦13年(1763)に建てられたもので、当初は寄棟式合掌造だったが、明治初期に切妻板葺きに改築。県内で最も早く四間取り形式を取り入れ、飛騨地方の民家の基本形となっている。旧渡辺家は寄棟式入母屋合掌造で、江戸時代末期の建築と推定されている。所要40分。
天正16年(1588)、金森長近がこの地に築城して城下町を開き、107年間にわたって支配。6代目の頼時が出羽国(現在の山形県)に転封となり、元禄8年(1695)に取り壊された。当時全国でも有数の規模を誇る山城だったが、今は2万平方メートルの敷地に三の丸堀、二の丸石垣、天守閣跡が昔の面影を残している。園内の広場からは市街の眺め、金竜ケ丘からは乗鞍岳など北アルプスの眺望がすばらしい。春は桜、秋は紅葉の名所で、遊歩道を散歩しながら森林浴やバードウォッチングも楽しめる。
5基の古墳が見られる古墳広場や、縄文から古墳時代の復元住居が立つ古代集落の里がある公園。熊野神社本殿へ続く遊歩道や多目的広場などで散策も楽しめる。赤保木遺跡・古墳から出土した考古資料や民具を展示する学習センターあり。丘の上からの高山市街や周辺の眺望もすばらしい。
明治8年(1875)の大火後に建てられた建物で、間口6.4m程度のごく標準的な商家。奥行きは22m程度あり、母屋・中庭・土蔵と並んでいる。大新町周辺は越中街道沿いに開けた商人町であったこともあり、伝統的様式の町家が残っているが、なかでも宮地家は改造を加えていないとても貴重なもの。屋号を「宮地屋」といい、かつては農業と商業を営んでいた。
建物の建築年代は文政9年(1826)と推定され、高山市で最も古い町家の1つ。創建以来ほとんど手を入れていない貴重な住宅として国の重要文化財の指定を受けている。約793平方mの敷地に主屋、米蔵、漬物蔵が立つ。主屋は切妻造の2階建てで、正面の小庇[こひさし]などに高山の町家の原型を見ることができる。松本家は蝋燭[ろうそく]で財をなした家で、米蔵には当時の商売道具類を展示している。
大きな米倉7棟の中に、七福神など一木造りの巨大な木像を一体ずつ安置している展示館。樹齢1200年のケヤキを彫り抜いた全高7.5mの毘沙門天[びしゃもんてん]、樹齢1000年の杉を彫って造られた、全高6.5mの福禄寿など、どれも圧倒される迫力だ。ギネスブック認定。
高山市新宮町から移築した江戸後期の郷倉。各郷ごとに備蓄米・年貢米を貯蔵した倉庫だ。
三代城主・金森重頼の弟、重勝の屋敷があった場所。町年寄川上斉右衛門の別邸となったのちの所有者、平田家と小森家が高山市に寄贈。池泉回遊式庭園と、左官の名手・江戸屋万蔵作の江戸後期建築の土蔵がある。
荒川家は、天正年間(1573~92)から続くという旧家。主屋と土蔵は江戸中期に建てられたもので、飛騨の匠が腕をふるった建物は見応え充分。国の重要文化財にも指定されている。内部には、民具や伊達政宗が金森長近[ながちか]に宛てた書状などが並ぶ。
高山市片野町から移築。屋根は板葺石置屋根両妻葺きおろしで、江戸初期の飛騨の農家の様式をとどめる。居間、台所、仕事場を兼ねた室内の広い土間が特徴。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。