
見沼通船堀
我が国でも、有数の古さを誇る閘門式運河。市の東部を流れる芝川と、その左右を流れる見沼代用水路には3mの水位差があるため、見沼代用水路と芝川との間に関を設け、水位を調節して船を通した。閘門式運河として世界的に有名なパナマ運河より180年以上も早い、享保16年(1731)の完成。この開通によって、江戸との産業交流が発展した。当時の土木技術や流通経済を知る上で、貴重な遺構。国史跡。
- 「東浦和駅」から徒歩10分
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我が国でも、有数の古さを誇る閘門式運河。市の東部を流れる芝川と、その左右を流れる見沼代用水路には3mの水位差があるため、見沼代用水路と芝川との間に関を設け、水位を調節して船を通した。閘門式運河として世界的に有名なパナマ運河より180年以上も早い、享保16年(1731)の完成。この開通によって、江戸との産業交流が発展した。当時の土木技術や流通経済を知る上で、貴重な遺構。国史跡。
JR大宮駅東口周辺の再開発事業で誕生した大型複合施設「大宮門街」。EASTとWESTの2棟からなり、低層階には商業施設やクリニック、市民ホールがあり、高層階はオフィスエリアとなっている。
県内三名城の一つといわれた岩槻城の城跡を整備して作られた約18万平方mの広大な公園。自然林に囲まれ起伏が多く、4月上旬には桜が、6月上旬~8月上旬にはスイレンが咲く花の名所でもある。岩槻城の城門(黒門)や、裏門などが移築保存された一角もあり、史跡が多く残されていることでも知られている。イベントも多く、4月上旬に桜まつり、また、11月3日に人形供養祭が行われる。
さいたま市内の伝統的な建物を移築・復原し、展示している野外博物館。江戸時代後期に建てられた表門や、市内最古の民家といわれる旧蓮見家住宅など、茅葺きの古民家が並ぶ。また、かつて農協の米穀倉庫だった石蔵は展示室となっている。見沼田んぼの中にある敷地は広々しており、のんびりできる。各種講座も実施。また、春や秋から冬の平日は、小学校体験学習でにぎわう。
高さ約1.5m、外径79cm、厚さ7.5cmの鐘。寛文11年(1671)、当時の城主・阿部正春が設置したもので、現在でも、毎日6時、12時、18時に澄んだ音を響かせている。現存する鐘は享保5年(1720)に改鋳、鐘楼は嘉永6年(1853)に改築されたもの。岩槻のシンボルになっている。市指定文化財。
建物は明治11年(1878)建築の埼玉県師範学校校舎鳳翔閣[ほうしょうかく]の中央部外観を復元したもの。市内浦和区・桜区・緑区・南区の歴史と文化を中心に展示。国指定史跡「見沼通船堀」閘門[こうもん]模型のほか、見沼通船で使用された資料が充実している。
室町時代の文明年間(1469~86)に、行田周辺を支配した領主成田氏が築城したといわれる忍城。天正18年(1590)の石田三成の水攻めにも耐えたといわれる名城だ。阿部氏、松平氏などが城主となった城は明治維新の際に壊されたが、現在は外堀跡を整備した「水城公園」があり、「忍城址公園」として整備された本丸跡地には昭和63年(1988)に御三階櫓[ごさんかいやぐら]が再建された。御三階櫓見学は行田市郷土博物館から入場。櫓内に入れば、常設展示室では行田市の歴史と文化に触れることができ、最上階の展望室からは城下町行田を一望できる。
忍城址の本丸跡地に立つ博物館。忍城[おしじょう]の城下町として発展した行田市の歴史と文化を紹介している。展示室は4つに分かれており、忍城の築城、江戸時代の忍城と城下町の様子、足袋製造の歴史、古代の歴史と文化から、行田の歴史をたどる構成。国指定重要文化財の酒巻14号墳出土埴輪も展示している。博物館の周囲は公園として整備され、昭和63年(1988)再建された隣接する御三階櫓[ごさんかいやぐら]は、この博物館から入場でき、最上階の展望室からは城下町行田の町並みを眺められる。
全国でもめずらしい、蔵造りの建物の電気店。明治時代に建てられた蔵に、昭和レトロな看板などを組み合わせたユニークな外観が目を引く。
老舗菓子店「亀屋」の五代目嘉七氏の隠居所として、大正14年(1925)に建設された。設計は住宅作家として定評のあった保岡勝也。当時の粋を贅沢に取り入れた、洒脱な洋風建築にはため息がもれるばかり。
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