やまびこ交流館
昭和5年(1930)築の農家住宅を移築・復元したもので、屋根は寄棟[よせむね]造の茅葺きと瓦葺き。すべてほぞ栓で組み立てられた柱や梁は見ごたえがある。現在は地元と都会の人たちの交流や会議に利用。宿泊もできる。
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昭和5年(1930)築の農家住宅を移築・復元したもので、屋根は寄棟[よせむね]造の茅葺きと瓦葺き。すべてほぞ栓で組み立てられた柱や梁は見ごたえがある。現在は地元と都会の人たちの交流や会議に利用。宿泊もできる。
豊臣秀吉が朝鮮出兵に際し、黒田官兵衛らに命じて天正20年(1592)に築城。総面積約17万平方mという当時大坂城に次ぐ規模ながら、わずか5カ月で主要部分を完成させた。名護屋城では茶会が盛んだったといわれ、周辺には草庵茶室跡や茶の湯に使った太閤井戸などが残る。現在、隣接して抹茶と庭園を楽しめる茶苑海月(時間:9~17時、無休)や、佐賀県立名護屋城博物館(時間:9~17時、休み:月曜、料金:秋の特別展のみ有料)がある。観光ガイドあり(要予約)。
幕末佐賀藩の洋式海軍の拠点であり、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産のひとつ。海軍の訓練や、洋式船の修理、日本初の実用蒸気船「凌風丸」の建造などを行った。発掘されたドライドックは、現存する日本最古のもの。遺構は保存のため地下に埋め戻されており、直接みることはできないが、隣接する佐野常民記念館で貸し出しているVR機器を使えば、当時をイメージしたCG画像を見ながら、現地散策を楽しむことができる。
陶山神社の境内から横の坂道を5分ほど登ったところに建てられている有田焼陶祖の記念碑。ここから有田の町並みが一望できる。有田内山重要伝統的建造物群保存地区内。
登り窯を築くために用いた耐火レンガ(トンバイ)の廃材や使い捨ての窯道具、陶片を赤土で塗り固めて作った塀。その多くが上有田地区にあり、泉山の大イチョウから大樽の陶磁美術館までの通りに多く見られる。有田内山重要伝統的建造物群保存地区内。
飛鳥時代、新羅や唐の侵攻に備えて太宰府を守るために築城されたといわれる基肄城。当時の城は、約4kmにわたる土塁で囲われていた。土塁、城門、水門、建物の礎石などの遺構が残り、多くの歴史ファンが訪れる。また、城跡は山頂に位置しているため、遠くは雲仙普賢岳まで見渡せる絶景。城跡から少し下るとなだらかな斜面が広がり草スキーを楽しむこともでき、家族連れに人気となっている。※水門跡周辺は、令和2年(2020)3月現在、災害復旧工事のため通行不可。
唐津藩の御用窯跡地。享保19年(1734)に坊主町から当時唐人町と呼ばれたこの地に移された。中里一族により大正年間まで使われていた。窯の壁面や天井部などほぼ全体が残っている。この窯の製品は献上唐津とよばれ、抹茶碗、水指、花生などがつくられていた。
教育者であり、『次郎物語』の作者でもある下村湖人が、明治17年(1884)に生まれてから15歳まで過ごした生家。館内には『次郎物語』の原稿をはじめ、写真や書簡など湖人ゆかりの品々が展示されている。
大隈重信記念館は、2度にわたって内閣総理大臣を務め、早稲田大学を創設した大隈重信に関する貴重な資料を展示している。併設する大隈重信旧宅は、当時の雰囲気をそのまま残す武家屋敷で、国の史跡に指定されている。
中国の聖人、儒学の祖である孔子を祀った建物。創建は宝永5年(1708)と日本に現存する孔子廟としては古く、国の重要文化財に指定されている。孔子に供物を捧げる釈菜[せきさい]の日には廟内を拝観可(春は4月18日、秋は10月第4日曜)。釈菜の催しは、佐賀県の重要無形民俗文化財に指定されている。
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