
宮崎県庁
近世ゴシック様式の重厚な外観と、流麗な装飾がモダンな印象の県庁舎で、平成29年(2017)国の登録有形文化財に登録された。玄関ロビーは県下で採石した大理石が使われるなど豪奢な雰囲気で、手すりには化石まで見られる。また、前庭は日南海岸や青島など県の観光地をイメージして造園。無料の団体向け県庁ツアーも行っている(要予約)。
- 「宮崎駅」から徒歩16分
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近世ゴシック様式の重厚な外観と、流麗な装飾がモダンな印象の県庁舎で、平成29年(2017)国の登録有形文化財に登録された。玄関ロビーは県下で採石した大理石が使われるなど豪奢な雰囲気で、手すりには化石まで見られる。また、前庭は日南海岸や青島など県の観光地をイメージして造園。無料の団体向け県庁ツアーも行っている(要予約)。
天平13年(741)に聖武天皇の詔で建立された、日向国の国分寺の跡で、五体の如来像が安置される木喰五智館(時間:8時30分~17時 休み:無休)が最大のみどころ。円空と並び称される木喰上人の作で、江戸時代に訪れたときに残したもの。彼の作品の中で最も巨大な如来像といわれる。日向国分寺は国指定史跡に、五智如来像は宮崎県指定美術工芸品にそれぞれ指定されている。
慶長8年(1603)、初代藩主・高橋元種が築いた延岡城跡を整備した公園。日本三大ヤブツバキ群のひとつとして知られる園内は、冬になると鮮やかな色合いの花が咲きほころぶ。重厚な北大手門をくぐると見えてくる高さ19mの石垣は、ひとつの礎石を外すとすべての石が崩れ落ちるといわれ、「千人殺しの石垣」と呼ばれている。丘陵頂上部の広場からは日向灘を一望でき、城山の鐘が時を知らせている。平成29年(2017)4月6日(城の日)に「続日本100名城」に選ばれた。
鬼八の首を祭る。ちなみに胴はここから300mほど離れたところに、手足は道の駅高千穂の近く淡路城跡に祭られている。
大正11年(1922)築の油津赤レンガ館。ドラマ『裸の大将』の撮影も行われた。平成9年(1997)に日南市民有志によって買い取られ保存されることになり、その翌年には国の登録有形文化財となった。
元暦2年(1185)8月、惟宗忠久は源頼朝から薩摩、大隅、日向国にまたがる島津荘の下司職(荘園の管理人)に任命される。忠久は島津荘の惣地頭職となり、自分が治める荘園の名をとって「島津忠久」と名乗るようになった。これが島津家の始まりとされている。鎌倉より下向した忠久が御所(館)を構えた場所と伝わる祝吉御所跡には、石碑が立つ。
字で見すると不思議な地名だが、これはサノノミコト(神武天皇)がお生まれになられた際、母タマヨリヒメが諸物を洗い浄めた場所との言い伝えに基づくとか。
豪商だった山本猪平が明治40年(1907)頃に建築。飫肥の商人屋敷を今に伝える貴重な遺構。昭和4年(1929)に増築した以外は、ほぼ建築当初のまま。
椎葉に伝わる悲恋物語の主人公・鶴富姫[つるとみひめ]と那須大八郎[なすのだいはちろう]が住んだとされる屋敷。4部屋が横一列に並び、縁も一続きになった、この地特有の寝殿造様の間取りは、神楽などを行うために建てられたという。平安期の屋敷の様式をとどめており、昔の人々の暮らしがうかがえる。所要20分。
飫肥城跡の大手門に向かって左手に立つ武家屋敷。明治になって藩主の伊東祐帰[いとうすけより]が知藩事に任ぜられ、城内からここに移り住んだ。屋敷の南にある庭園は、広い空間に庭石や石灯籠、庭木などを配して作庭された名庭だ。
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