
宮崎神宮
狭野杉[さのすぎ]で作られた神明流造の社殿には、初代天皇である神武天皇とその父母君を祀る。神武東遷以前は、この地に都が置かれていたともいわれている。毎年4月には五穀豊穣を願う流鏑馬が、10月には「神武さま」と呼ばれる秋の風物詩「御神幸祭」が行われ、多くの人で賑わう。神社を取り囲む広大な森は、市民の憩いの場所となっている。御神殿などが国の登録有形文化財となっている。
- 「宮崎神宮駅」から徒歩12分
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狭野杉[さのすぎ]で作られた神明流造の社殿には、初代天皇である神武天皇とその父母君を祀る。神武東遷以前は、この地に都が置かれていたともいわれている。毎年4月には五穀豊穣を願う流鏑馬が、10月には「神武さま」と呼ばれる秋の風物詩「御神幸祭」が行われ、多くの人で賑わう。神社を取り囲む広大な森は、市民の憩いの場所となっている。御神殿などが国の登録有形文化財となっている。
阿波岐原の森の中にひっそりとたたずみ、イザナギノミコトとイザナミノミコトの両神を祀る。境内に張りつめる静寂が一種独特の雰囲気を醸し出している。最近ではスピリチュアルスポットとしても注目され、多くの観光客が訪れている。また、神社のすぐそばの自然公園「市民の森」内にある「みそぎ池」は、イザナギノミコトが黄泉の国のケガレをはらったとされる。その際にアマテラスオオミカミやスサノオノミコトなどの神々が生まれたことから、禊発祥の地といわれている。
「鬼の洗濯板」と呼ばれる波状岩がぐるりと囲む小さな島の中に、1200年以上も前からあると伝わる神社。ビロウ樹におおわれた姿が神秘的。山幸彦・彦火火出見命と豊玉姫命の夫婦神を祀るため、縁結びや安産にご利益があるといわれる。境内には、「海積の祓」「産霊紙縒」「天の平瓮投げ」などさまざまな願掛けスポットがあり、楽しみながら参拝できる。
創建は万治元年(1658)。かつて境内には、樹齢500年といわれる夫婦杉があり、2本の杉の根が強く結びついていたことから縁結び・夫婦円満の神様といわれるように。その御利益から、明治の末ごろまでは新婚夫婦がシャンシャン馬で参拝に訪れ、今も縁結びを願う若い女性で賑わう。境内に残る樹齢650年の楠の大木は見事。
くしふる神社のあるくしふる峰は、ニニギノミコトが三種の神器を奉戴し、国を治めるために降り立った聖地とされている。社殿は元禄7年(1694)に建立されたと伝わる。
霧島神宮などと同じく「霧島六社権現」のひとつ。孝昭天皇(紀元前475年即位)の時代、神武天皇が誕生した地に創建されたと伝わる神社。「狭野」の名は、神武天皇の幼名・サノノミコトに由来しているのだそう。
神話のふる里・高千穂にある古社の一つで、地元では「荒立宮」と呼ばれ親しまれている。祭神は、天孫降臨する瓊々杵尊[ににぎのみこと]の道案内をした猿田彦命と歌や舞、芸能の神・天鈿女命。2神が結婚して住まわれた地と伝えられ、切り出した荒木で急いで宮居を建てたことから「荒立宮」と名付けられたとか。芸能と縁結びにご利益があるとされ、多くの芸能人が参拝。境内には、7回打てば願いが叶うという「七福徳寿板木」や「未来板木」、「芸道進栄板木」など数々の版木が設置され、パワースポットとなっている。
木花開耶姫[このはなさくやひめ]を祀る神社。高天ケ原[たかまがはら]から降臨された瓊瓊杵命[ににぎのみこと]が姫を見初めたことから、縁結びの神として、またこの姫が3つ子を無事出産したことから安産の神、子育ての神としても知られる。姫は、甘酒を作ってお乳替わりに飲ませたともいわれ、境内には「日本酒発祥の碑」も立つ。
今から約1900余年前、垂仁[すいにん]天皇の御代の創建と伝えられる神社で、高千穂八十八社の総社。鎌倉時代の作と伝えられる社宝の鉄造狛犬一対(重要文化財)や、拝殿脇の奥まったところにある本殿の彫刻は必見だ。境内の神楽殿では、年間を通して毎日20時から1時間、「手力雄[たぢからお]」「鈿女[うずめ]」などの、代表的な4番を披露する高千穂神楽が行なわれている。見学料は1000円。
くしふる神社の周辺にあり、高天原遥拝所とともに森林浴を楽しみながら散策ができる。
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