
日向国分寺跡
天平13年(741)に聖武天皇の詔で建立された、日向国の国分寺の跡で、五体の如来像が安置される木喰五智館(時間:8時30分~17時 休み:無休)が最大のみどころ。円空と並び称される木喰上人の作で、江戸時代に訪れたときに残したもの。彼の作品の中で最も巨大な如来像といわれる。日向国分寺は国指定史跡に、五智如来像は宮崎県指定美術工芸品にそれぞれ指定されている。
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
天平13年(741)に聖武天皇の詔で建立された、日向国の国分寺の跡で、五体の如来像が安置される木喰五智館(時間:8時30分~17時 休み:無休)が最大のみどころ。円空と並び称される木喰上人の作で、江戸時代に訪れたときに残したもの。彼の作品の中で最も巨大な如来像といわれる。日向国分寺は国指定史跡に、五智如来像は宮崎県指定美術工芸品にそれぞれ指定されている。
大正11年(1922)築の油津赤レンガ館。ドラマ『裸の大将』の撮影も行われた。平成9年(1997)に日南市民有志によって買い取られ保存されることになり、その翌年には国の登録有形文化財となった。
明治4年(1871)に取り壊されたが、昭和53年(1978)に樹齢100年の飫肥杉を使用して復元された、飫肥城のシンボル的建物。木造渡櫓[とろ]、本瓦葺き[ふき]の重厚な造りの江戸時代の櫓門だ。
細島港の先にある風光明媚な陸けい島。京都で起きた薩摩藩の内紛、寺田屋騒動に関係した黒田藩士で、勤王家海賀宮門ほか2士が護送中にこの地の沖合いで惨殺された。この名称は、勤王の志が厚かったこの3人の死を地元民が悼んで墓碑を建てたことに由来する。砂州で繋がった小島へは満潮時を除けば歩いて渡ることができる。
各地に残る江戸時代初期の書院造りの御殿を参考にして、昭和54年(1979)に建築された。建物は御座の間、茶室、御寝所、湯殿、台所、御蔵などから構成され、このうち湯殿は、国宝である西本願寺の飛雲閣のものを模したこけら葺きの総桧造りの蒸し風呂となっている。
豪商だった山本猪平が明治40年(1907)頃に建築。飫肥の商人屋敷を今に伝える貴重な遺構。昭和4年(1929)に増築した以外は、ほぼ建築当初のまま。
椎葉に伝わる悲恋物語の主人公・鶴富姫[つるとみひめ]と那須大八郎[なすのだいはちろう]が住んだとされる屋敷。4部屋が横一列に並び、縁も一続きになった、この地特有の寝殿造様の間取りは、神楽などを行うために建てられたという。平安期の屋敷の様式をとどめており、昔の人々の暮らしがうかがえる。所要20分。
国民的歌人・若山牧水が少年時代を過ごしたこの家は、弘化2年(1845)に祖父の健海[けんかい]が建てたもの。近くの若山牧水記念文学館では、延岡中学校時代の成績表、直筆の掛け軸などを展示している。所要30分。
廻船問屋であった明治17年(1884)築の商家を一般公開している。重厚感ある佇まいはもちろん、土間や太い梁など古民家好きは必見の建物。
鬼八の首を祭る。ちなみに胴はここから300mほど離れたところに、手足は道の駅高千穂の近く淡路城跡に祭られている。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。