
日本海軍発祥の地
この地で天皇親率の水軍が初めて編成されたことから、日本海軍発祥の地とされ、港には巨大なモニュメントがある。すぐそばには神武天皇が海上安全を祈願したといわれる立磐神社があり、境内には神武天皇が腰掛けたといわれる「お腰掛け岩」が祭られている。
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この地で天皇親率の水軍が初めて編成されたことから、日本海軍発祥の地とされ、港には巨大なモニュメントがある。すぐそばには神武天皇が海上安全を祈願したといわれる立磐神社があり、境内には神武天皇が腰掛けたといわれる「お腰掛け岩」が祭られている。
細島港の先にある風光明媚な陸けい島。京都で起きた薩摩藩の内紛、寺田屋騒動に関係した黒田藩士で、勤王家海賀宮門ほか2士が護送中にこの地の沖合いで惨殺された。この名称は、勤王の志が厚かったこの3人の死を地元民が悼んで墓碑を建てたことに由来する。砂州で繋がった小島へは満潮時を除けば歩いて渡ることができる。
近世ゴシック様式の重厚な外観と、流麗な装飾がモダンな印象の県庁舎で、平成29年(2017)国の登録有形文化財に登録された。玄関ロビーは県下で採石した大理石が使われるなど豪奢な雰囲気で、手すりには化石まで見られる。また、前庭は日南海岸や青島など県の観光地をイメージして造園。無料の団体向け県庁ツアーも行っている(要予約)。
豪商だった山本猪平が明治40年(1907)頃に建築。飫肥の商人屋敷を今に伝える貴重な遺構。昭和4年(1929)に増築した以外は、ほぼ建築当初のまま。
野口雨情の歌碑。ほかにも多くの文人が日南市を訪れている。
江戸時代、飫肥藩(伊東氏)五万一千石の城下町として栄え、九州の小京都ともよばれる飫肥。武家屋敷と町家からなる城下町に、古い石垣や生垣、門が見られる。観光の中心となるのは、伊東氏14代の居城・飫肥城。当時は本丸・松尾の丸など11の曲輪を配した南九州型の城。戦国時代には島津豊州家と伊東義祐の間で天文10年(1541)から永禄11年(1568)の28年余りに及ぶ争奪戦が展開された。現在の城跡には、元禄6年(1693)に築かれた石垣などがそのまま残っている。昭和53年(1978)には現在の大手門が、樹齢 100年以上の飫肥杉を使って再建された。
国民的歌人・若山牧水が少年時代を過ごしたこの家は、弘化2年(1845)に祖父の健海[けんかい]が建てたもの。近くの若山牧水記念文学館では、延岡中学校時代の成績表、直筆の掛け軸などを展示している。所要30分。
国の重要伝統的建造物群保存地区の選定を受け、明治、大正、昭和の初期に盛栄えた港町として、今でも歴史的な景観を維持しており、センター内は来館者のお休み処として利用できる。
鬼八の首を祭る。ちなみに胴はここから300mほど離れたところに、手足は道の駅高千穂の近く淡路城跡に祭られている。
慶長8年(1603)、初代藩主・高橋元種が築いた延岡城跡を整備した公園。日本三大ヤブツバキ群のひとつとして知られる園内は、冬になると鮮やかな色合いの花が咲きほころぶ。重厚な北大手門をくぐると見えてくる高さ19mの石垣は、ひとつの礎石を外すとすべての石が崩れ落ちるといわれ、「千人殺しの石垣」と呼ばれている。丘陵頂上部の広場からは日向灘を一望でき、城山の鐘が時を知らせている。平成29年(2017)4月6日(城の日)に「続日本100名城」に選ばれた。
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