
瑞川寺
伊達政宗の重臣、古川城主・鈴木和泉守元信[すずきいずみかみもとのぶ]が、廃寺同然だった古寺を再興したもの。山門は室町時代の様式を受け継ぐ、古川城の搦手門[からめてもん]を移築。重厚な2階建てが特徴。境内には元信の墓所や記念碑がある。
- 「古川駅」から徒歩21分/「塚目駅」から徒歩25分
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伊達政宗の重臣、古川城主・鈴木和泉守元信[すずきいずみかみもとのぶ]が、廃寺同然だった古寺を再興したもの。山門は室町時代の様式を受け継ぐ、古川城の搦手門[からめてもん]を移築。重厚な2階建てが特徴。境内には元信の墓所や記念碑がある。
東北鎮護・陸奥國一宮として、古くから信仰を集めてきた鹽竈神社。創建は不詳だが、平安初期にはすでに東北最大の神社として厚い崇敬を受けていた。現在の社殿は伊達家四代藩主・網村公、五代藩主・吉村公の時代、9年の歳月をかけて建設され宝永元年(1704)に竣工されたもので、国の重要文化財に指定。3月下旬~4月下旬が見頃の鹽竈ザクラ(国指定天然記念物)、葉書の語源とされるタラヨウなど境内には珍しい植物が多い。
慶長12年(1607)に伊達政宗公が建立した仙台総鎮守の神社。黒漆塗りを基調に豪華な金箔装飾・胡粉彩色・彫刻の調和が見事。社殿全体が国宝、長床が重要文化財に指定されている。毎年1月14日に約300年続く松焚祭(どんと祭)が行われ、燃え上がる御神火と数千名の裸参りが勇壮。
陸奥国延喜式内社[むつのくにえんぎしきないしゃ]100社を合祀し、国司が祭事を行うために建立した神社。鹽竈[しおがま]神社に詣でる前に参拝しないと、神の加護を得られないといわれている。
大同2年(807)、坂上田村麻呂が東征の折りに建立し、後に慈覚大師が五大明王像を安置したことから五大堂と呼ばれる。現在の建物は、伊達政宗公が桃山式建築手法の粋をつくして再建したもの。33年に一度五大堂の中に安置された五大明王像が一般公開される。
石雲寺前庭の崖上にあるコウヤマキ(高野槙)は根周り9.7m、幹周り5.49m、樹高23mのみごとな円錐形をしている。県の天然記念物。境内には、茅葺き総ケヤキ造りの茂庭家霊屋があり、木造彩色座像を安置。1月16日と8月16日の年2回開帳される。
蔵王刈田岳山頂に鎮座する神社。レストハウスから歩いてすぐのところにあり、ここからの眺めもよい。祭神は天之水分神[あまのみくまりのかみ]、国之水分神[くにのみくまりのかみ]。明治5年(1872)に水分[みくまり]神社と改め、明治8年(1875)に刈田嶺神社と称するようになった。
伊達政宗が城下町建設の際、町割りに使用した縄を地中に埋め、その上に神社を建立したと伝わる。縁結びと商売繁盛の神様。和風縁結びストラップ450円などのグッズもあり、サンモール一番町商店街振興組合事務局で、販売している(要問合せ、平日のみ10~12時、13~17時)。
縁結び・子授け・安産にご利益のある寺。平家滅亡の際に源氏の追討を逃れた平貞能が、中国伝来の阿弥陀如来宝軸を安置したのが起源という。本堂は宝形造で正面に唐破風をもつ珍しい造り。五重塔や由来に関する資料を展示する資料館(無料)がある。
藩政時代から安産・子授け・縁結びの神として東北地方に広く知られる。祭神は木花佐久夜比売命[このはなさくやひめのみこと]、大山昨命[おおやまくいのみこと]、天照大御神[あまてらすおおみかみ]、応神天皇の4柱。
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