仙台市歴史民俗資料館
仙台の少し昔の普通の人々のくらしを知ることができる資料館。町中に住んでいた職人の仕事道具、農村で米作りに使われていた道具などを展示。農家の台所や庭先の様子、子どもたちの集まった一銭店屋の店先などを再現したコーナーもある。建物は明治7年(1874)完成で、宮城県有形文化財に指定。旧日本陸軍の兵舎だった当時の様子、戦時中の生活道具なども紹介している。所要40分。
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仙台の少し昔の普通の人々のくらしを知ることができる資料館。町中に住んでいた職人の仕事道具、農村で米作りに使われていた道具などを展示。農家の台所や庭先の様子、子どもたちの集まった一銭店屋の店先などを再現したコーナーもある。建物は明治7年(1874)完成で、宮城県有形文化財に指定。旧日本陸軍の兵舎だった当時の様子、戦時中の生活道具なども紹介している。所要40分。
海外事情に通じ、著書『海国兵談[かいこくへいだん]』で幕府から禁固刑を受けた江戸時代中期の経世家・林子平の墓(国史跡)が龍雲院の境内にある。罪人とされたため、死後しばらく墓は造営されなかったが、天保13年(1842)に甥の珍平によって建てられた。宝形造の堂のなかに六無斎友直居士と刻んだ小さな墓が納められている。
国府多賀城の南東約1kmに位置し、多賀城の付属寺院として建立されたといわれている。伽藍配置は太宰府(福岡県)の観世音寺に類似している。寺院の名称は不明だが、昭和58年(1983)に出土した土器の墨書きから、「観音寺」ではないかといわれている。
大正19年(1591)、伊達政宗は岩手沢を岩出山と改め、慶長6年(1601)治府を移すまで岩出山城を居城とした。現在は公園として整備され、空堀や門跡などが当時の遺構として残されている。9月第2日曜日とその前日には政宗公まつり、11月15・16日には秋の互市、11月下旬には岩出山バルーンフェスティバルをそれぞれ開催。昭和39年(1964)、仙台城跡から移された政宗平和像も立つ。
出羽仙台街道の宿駅の一つ、尿前に置かれた伊達藩の番所跡。元禄2年(1689)、松尾芭蕉が平泉から出羽の尾花沢へ出るときに通った関所。現在は、門や柵など当時の関所が復元されている。
遠く太平洋も望める景勝地・青葉山丘陵にある城跡。仙台藩祖・伊達政宗が築城した青葉城とも呼ばれる仙台城は、竜ノ口峡谷と広瀬川を外堀とする天然の要害の地で、慶長7年(1602)に完成。以降、13代260余年にわたり伊達氏の居城となった。現在は、本丸跡に埋門跡や大広間跡などが残り、大手門の脇櫓(隅櫓)が再建されており、仙台城見聞館や護国神社、青葉城資料展示館のある青葉城本丸会館なども立つ。城跡を含めた一帯が青葉山公園として整備されており、本丸跡周辺は国の史跡にも指定されている。春は数百本の桜が咲く桜の名所でもある。
仙台城三の丸跡に位置する博物館。仙台伊達家から寄贈された資料をはじめ、支倉常長らに関する国宝・慶長遣欧使節関係資料(ユネスコ「世界の記憶」登録の3点を含む)や、国指定重要文化財の伊達政宗所用の黒漆五枚胴具足や山形文様陣羽織、三沢初子所用帯など、仙台の歴史・文化・美術工芸などに関する資料約10万点を収蔵している。常設展では、季節ごとに展示替えを行っている。年3~4回の特別展・企画展も開催。所要約1時間。
8世紀から10世紀ごろの古代城柵跡。東西約1400m、南北約850mの範囲を築地や土塁で区画。当時の陸奥国府だった多賀城跡を上回り、古代城柵において最大級の規模を誇る。遺跡の北西部に位置する愛宕山地区は史跡公園になっており、春にはソメイヨシノが咲き乱れ、隠れた花見の名所になっている。
延宝5年(1677)頃、岩出山伊達家2代宗敏の隠居所として、現在地に建てられたといわれる。寄棟茅葺き書院造りの簡素な佇まいで、後には学問所として使用された。庭園は、仙台藩茶道頭・石州流三代清水道竿[どうかん]の作庭。岩出山城本丸の断崖を借景として、池中に島を配した廻遊式池泉庭園だ。樹齢300年以上の樹木もあり、四季折々の変化が楽しめる。国史跡・名勝。
紙問屋や雑貨商などを営んでいた豪商・渡辺家の屋敷。土蔵造の店蔵は明治中期、母屋と金庫蔵は大正12年(1923)に建てられたもので、和洋折衷の造りが特徴。なかでも、玄関欄間のベネチアンガラスや店蔵の棚階段は見もの。
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