
仙台城跡(青葉城址)
遠く太平洋も望める景勝地、青葉山丘陵にある。竜ノ口峡谷と広瀬川を外堀とする断崖絶壁の天然の要害の地で、慶長7年(1602)伊達政宗により完成。以降、13代260余年にわたり伊達氏の居城となった。石垣が残り、建物は大手門の脇櫓が再建されている。本丸跡には、青葉城資料展示館や食事処、売店などがある本丸会館があり、政宗騎馬像や仙台城見聞館(無料)が立つ。
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遠く太平洋も望める景勝地、青葉山丘陵にある。竜ノ口峡谷と広瀬川を外堀とする断崖絶壁の天然の要害の地で、慶長7年(1602)伊達政宗により完成。以降、13代260余年にわたり伊達氏の居城となった。石垣が残り、建物は大手門の脇櫓が再建されている。本丸跡には、青葉城資料展示館や食事処、売店などがある本丸会館があり、政宗騎馬像や仙台城見聞館(無料)が立つ。
紳亀元年(724)に創建され、陸奥の国府、鎮守府が置かれた多賀城の中核部分。面積は約1.2haにもおよび、平城宮跡・大宰府跡と並んで日本の三大史跡の一つに数えられている。築地塀で囲まれた政庁の中央部には、正殿や脇殿など建物が立ち並び、重要な儀式や事務が行われていた。現在は建物の基壇や礎石など奈良時代後半頃の状況に平面整備が進んでいる。国の特別史跡に指定されているほか、日本遺産にも認定されている。
仙台の少し昔の普通の人々のくらしを知ることができる資料館。町中に住んでいた職人の仕事道具、農村で米作りに使われていた道具などを展示。農家の台所や庭先の様子、子どもたちの集まった一銭店屋の店先などを再現したコーナーもある。建物は明治7年(1874)完成で、宮城県有形文化財に指定。旧日本陸軍の兵舎だった当時の様子、戦時中の生活道具なども紹介している。所要40分。
大正19年(1591)、伊達政宗は岩手沢を岩出山と改め、慶長6年(1601)治府を移すまで岩出山城を居城とした。現在は公園として整備され、空堀や門跡などが当時の遺構として残されている。9月第2日曜日とその前日には政宗公まつり、11月15・16日には秋の互市、11月下旬には岩出山バルーンフェスティバルをそれぞれ開催。昭和39年(1964)、仙台城跡から移された政宗平和像も立つ。
遠く太平洋も望める景勝地・青葉山丘陵にあり、13代270余年にわたり伊達氏の居城となった。現在は石垣が残り、政宗騎馬像が立つほか、大手門の脇櫓(隅櫓)が再建されている。城跡一帯が公園となっており、春は数百本の桜が咲く。広瀬川から桜越しに脇櫓(隅櫓)を見ることもできる。
伊達政宗公が豊臣秀吉から拝領した伏見桃山城の一棟を、2代藩主忠宗公が江戸より移築したもの。歴代藩主が納涼・観月の場とした観瀾亭は「月見御殿」とも呼ばれており、秋には毎年お月見会を開催。室内の極彩色の障壁画は重要文化財に指定されている。
町内の寺池には白壁に茅葺き、瓦葺きのどっしりした構えの武家屋敷が点在。町内17、8軒、寺池周辺6、7軒。現在も住居として使用されているところが多く、ほとんど一般公開されていない。江戸時代中期に建てられた登米伊達藩の家臣鈴木家の屋敷・春蘭亭は町に寄贈され保存修復後、喫茶コーナーを設け平成2年(1990)にオープン。「春蘭亭」の名の由来はこの地に自生する春蘭を加工した「春蘭茶」を提供することから名付けられた。春蘭茶セット500円。
約4000年前の縄文ムラであった山田上ノ台遺跡を保存公開している。竪穴住居を復元しているほか、クリなどの広葉樹で縄文時代の植生を再現している。また縄文土器づくり200円~や勾玉づくり200円~などを体験できる。10名以上は要予約。
七ケ宿に語り継がれる伝説のひとつ。江戸時代、秋田佐竹藩の殿様が参勤交代の際に滑津で美しい村娘を見初めたが、再度訪れた時には娘は亡くなっていた。殿様は大変悲しみ、娘をしのんで振袖地蔵を作ったといわれる。
丸森町の中心商店街にある蔵屋敷で、江戸時代から昭和初期にかけて財をなした齋藤家の屋敷を公開したもの。通りに残ったほとんど唯一ともいえる蔵屋敷内には、昔の商売道具や晴れ着などの美術品や装身具などのコレクションなどが展示されている。所要1時間。
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