
林子平の墓
海外事情に通じ、著書『海国兵談[かいこくへいだん]』で幕府から禁固刑を受けた江戸時代中期の経世家・林子平の墓(国史跡)が龍雲院の境内にある。罪人とされたため、死後しばらく墓は造営されなかったが、天保13年(1842)に甥の珍平によって建てられた。宝形造の堂のなかに六無斎友直居士と刻んだ小さな墓が納められている。
- 「東北福祉大前駅」から徒歩15分/「北山(宮城)駅」から徒歩17分
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海外事情に通じ、著書『海国兵談[かいこくへいだん]』で幕府から禁固刑を受けた江戸時代中期の経世家・林子平の墓(国史跡)が龍雲院の境内にある。罪人とされたため、死後しばらく墓は造営されなかったが、天保13年(1842)に甥の珍平によって建てられた。宝形造の堂のなかに六無斎友直居士と刻んだ小さな墓が納められている。
杉木立の中に佇む、荘厳華麗な伊達政宗の霊屋。戦災による焼失後、昭和54年(1979)に再建。副葬品などを展示する資料館、2代藩主・忠宗と3代藩主・綱宗の霊屋がある。
富沢遺跡で発見された、2万年前の旧石器時代の森林跡と人類の活動跡を発掘されたままの状態で保存・公開している施設。地下展示室では、10分間隔で復元映画が上映される。屋外に当時の森を復元した野外展示「氷河期の森」がある。所要1時間。
町内の寺池には白壁に茅葺き、瓦葺きのどっしりした構えの武家屋敷が点在。町内17、8軒、寺池周辺6、7軒。現在も住居として使用されているところが多く、ほとんど一般公開されていない。江戸時代中期に建てられた登米伊達藩の家臣鈴木家の屋敷・春蘭亭は町に寄贈され保存修復後、喫茶コーナーを設け平成2年(1990)にオープン。「春蘭亭」の名の由来はこの地に自生する春蘭を加工した「春蘭茶」を提供することから名付けられた。春蘭茶セット500円。
出羽仙台街道の宿駅の一つ、尿前に置かれた伊達藩の番所跡。元禄2年(1689)、松尾芭蕉が平泉から出羽の尾花沢へ出るときに通った関所。現在は、門や柵など当時の関所が復元されている。
丸森町の中心商店街にある蔵屋敷で、江戸時代から昭和初期にかけて財をなした齋藤家の屋敷を公開したもの。通りに残ったほとんど唯一ともいえる蔵屋敷内には、昔の商売道具や晴れ着などの美術品や装身具などのコレクションなどが展示されている。所要1時間。
江戸時代に建てられた蔵の中に、なつかしいおもちゃや人形が所狭しと並ぶ。同敷地内の別館では「ひなまつり展」「5月人形展」「昭和レトロ展」などの企画展と50数体の市松人形のコレクションが見られる。
七ケ宿に語り継がれる伝説のひとつ。江戸時代、秋田佐竹藩の殿様が参勤交代の際に滑津で美しい村娘を見初めたが、再度訪れた時には娘は亡くなっていた。殿様は大変悲しみ、娘をしのんで振袖地蔵を作ったといわれる。
8世紀から10世紀ごろの古代城柵跡。東西約1400m、南北約850mの範囲を築地や土塁で区画。当時の陸奥国府だった多賀城跡を上回り、古代城柵において最大級の規模を誇る。遺跡の北西部に位置する愛宕山地区は史跡公園になっており、春にはソメイヨシノが咲き乱れ、隠れた花見の名所になっている。
紙問屋や雑貨商などを営んでいた豪商・渡辺家の屋敷。土蔵造の店蔵は明治中期、母屋と金庫蔵は大正12年(1923)に建てられたもので、和洋折衷の造りが特徴。なかでも、玄関欄間のベネチアンガラスや店蔵の棚階段は見もの。
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