
鷲窟山観音院
秩父31番札所。札所最西端、標高698mの観音山中腹にある寺。本堂裏の巨大な岩壁「鷲の岩や」には30mの聖浄の滝が落ち、本堂から東の奥の院までの途中には弘法大師が爪で彫ったとされる十万八千仏(磨崖仏)など石仏群が300体ある。春はしだれ桃、秋にはシュウカイドウが咲く。
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秩父31番札所。札所最西端、標高698mの観音山中腹にある寺。本堂裏の巨大な岩壁「鷲の岩や」には30mの聖浄の滝が落ち、本堂から東の奥の院までの途中には弘法大師が爪で彫ったとされる十万八千仏(磨崖仏)など石仏群が300体ある。春はしだれ桃、秋にはシュウカイドウが咲く。
鎮座2100年の歴史をもつ、秩父地方の総社。現在の社殿は徳川家康の寄進によるもの。本殿・幣殿・拝殿をつないだ、荘厳な権現造だ。左甚五郎作の彫刻「つなぎの龍」「子育ての虎」が有名で、背面にある「北辰の梟[ふくろう]」は学問に霊験あらたかとされている。例祭「秩父夜祭」は、国指定重要無形民俗文化財に指定されており、平成28年(2016)にユネスコの世界無形遺産にも登録された。
秩父札所33番。本尊の聖観世音(県文化財)は、藤原時代の檜の一木彫。入母屋造の本堂の広い土間の左右には子返しの図や孝行和讃の図があり、貧しい暮らしのなかでの人道倫理が諭されている。
観音堂の手前には輪廻塔が立っていて、お経が刻まれた円盤を廻すと生者は最高の幸せが約束され、亡者は地獄から天国に生まれ変わるといわれている。秩父指定有形文化財「飛天像」が堂内に安置。境内には勢至堂がある(勢至菩薩は午年生まれの守り本尊)。
札所1番。元禄10年(1697)に建立された朱塗りの千鳥破風付観音堂は、秩父札所霊場の中で唯一の県指定重要文化財だ。8月24日に行われる大施食会は関東三大施餓鬼会の一つとして有名。境内の売店では一番札所らしく、杖や納経帖、掛軸、笈摺、白衣などの巡礼用品が全て揃う。また周辺は、秩父市の天然記念物ムラサキヤシオツツジの群生地としても知られる。
小川市街や秩父連山の展望地にある天台宗の古刹。朱塗りの観音堂の信仰が厚く、安産、子育て、厄除の観音として知られる。境内にあった石造法華経供養塔「六面幢」(重要文化財)は、付近で産出する下里石[しもさといし]を6枚組み合わせ笠石を乗せた珍しい塔婆で、収蔵庫に収められている。毎年4月第3日曜には、下里観音縁日が行なわれる。
京都の清水寺を模した舞台を備えた、懸崖造の堂宇である観音堂(岩井堂)が最大のみどころ。鳥山石燕作の絵馬なども見られる。
日本百番観音に数えられる、秩父札所34カ所めぐり。文暦元年(1234)開創と伝えられるが、札所32番の法性寺(岩船観音)が所蔵する室町時代末期の秩父札所番付において実在が確認される。江戸時代になると、観音信仰の高まりから札所めぐりは庶民の間に熱烈に広まっていった。まとまった地域にあるため日数がかからず、江戸からは関所越えがないので女性も多く巡礼した。徒歩で回ると1週間ほど、車で3~4日が目安。白装束の巡礼姿で参拝するのもよいが、普段着でも構わない。巡礼用品全般は札所1・13・18番で購入可。
牛が座っていたところから観音像が見つかったという伝説から、牛伏堂ともよばれる。平賀源内設計の本堂は秩父札所最大の大きさを誇る。
庭園が見事な札所30番の寺。特に春のツツジ、秋の紅葉はよく知られる。縁日の4月18日と午年のみ御開帳される本尊の如意輪観音は、玄宗皇帝が楊貴妃を弔うために自ら彫ったとされる。堂内には、日本百カ所観音霊場成立の年代を知る上で貴重な室町時代の木板の納札が保存されている。
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