
大渕寺
高さ15mの護国観音は、かつては大船、高崎の大観音像とともに関東三大観音とよばれていた。埼玉県指定史跡の影森用水跡地も残る。
- 「影森駅」から徒歩8分/「浦山口駅」から徒歩16分
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高さ15mの護国観音は、かつては大船、高崎の大観音像とともに関東三大観音とよばれていた。埼玉県指定史跡の影森用水跡地も残る。
鎮座2100年の歴史をもつ、秩父地方の総社。現在の社殿は徳川家康の寄進によるもの。本殿・幣殿・拝殿をつないだ、荘厳な権現造だ。左甚五郎作の彫刻「つなぎの龍」「子育ての虎」が有名で、背面にある「北辰の梟[ふくろう]」は学問に霊験あらたかとされている。例祭「秩父夜祭」は、国指定重要無形民俗文化財に指定されており、平成28年(2016)にユネスコの世界無形遺産にも登録された。
源頼朝や徳川家康などに縁の深い、関東最古の大社ともいわれている。国指定重要無形民俗文化財である。土師一流催馬楽神楽が年に6回奉演される。奉演日1月1日、2月14日、4月10日、7月31日、10月10日、12月初酉の日。
天覧山の南麓にある曹洞宗の古刹。文亀元年(1501)に中山家勝が小庵を開いたのをはじめに、飯能地方の領主の菩提寺として栄えた。明治維新の飯能戦争で多くを焼失したが、昭和11年(1936)に現在の本堂が再建された。天覧山の傾斜を利用した池泉観賞式蓬莱庭園はツツジやサツキなど四季折々の花が咲く約1000平方mの庭園で、日本の名園百選にも選ばれている。本堂手前にある竹林も見事。
荒川の浸食でできた河岸段丘上に露出した大きな岩盤の上に本堂がある。秩父札所の第19番。千手観世音菩薩本堂となりの三途婆堂(さんずばどう)には、三途の川の川辺で死者の服をはぎとる奪衣婆(だつえば)の座像がまつられている。「子育て婆さん」として、子どもの病気を治してくれるといわれている。
日本武尊[やまとたけるのみこと]が東征の折り、猛火に包まれ、どこからともなく現れた巨犬に救われたという伝説の地。寳登山の東麓に祀られている。社殿は江戸末期の再建。かつては火止山の字が使われ、火防・盗賊除け・諸難除けの守り神として広く信仰されている。
平安末期、源頼信が平忠常討伐に際して昼夜の戦勝祈願をしたところ、明け行く空に箭の形をした白雲がにわかに現れ、その箭は敵を射るかのように飛んで行き、頼信は、これぞ神のご加護と奮いたち、神を信じ戦う頼信軍が勝利する。その後、頼信は社殿の建て替えを寄進したとされる神社。境内に植えられた約1300株のボタンは4月中旬から5月上旬に見事な花をつける。五穀豊穣、商売繁昌、家内安全の守り神であるとともに、交通安全、厄除、火難除、開運、学業成就、芸能向上等の祈願社として信仰を集めている。
京都の清水寺を模した舞台を備えた、懸崖造の堂宇である観音堂(岩井堂)が最大のみどころ。鳥山石燕作の絵馬なども見られる。
「長享2年秩父観音札所番付」によると、定林寺が札所1番となっている。当時は定林寺から巡礼を始めたものと思われ、その名残りとして立派な鐘楼があり、梵鐘には秩父、坂東、西国、百観音のご本尊とご詠歌が刻まれている。現在のものは宝暦8年(1758)に再鋳造されたもので県指定文化財である。本尊は11面観世音菩薩で、定林寺は「林寺」とも呼ばれ、これは林太郎定元の菩提を弔うために建立した林家個人の持寺だったため。林家は妙見社の触れ役を勤める家柄だったと伝えられている。
延徳2年(1490)開創、明応2年(1493)廣見寺2世東雄朔方により再興、開山となる。本尊は聖観世音菩薩。延命地蔵、仁王像が迎える。本堂内の厨子は美術工芸品として評価が高く、堂内安置の子安観音像は、安産と子育てに霊験あらたか。また、体の痛い部分を撫でると身代わりになってくれると伝わる「おびんずる様」で知られる。アニメ映画の舞台地でもある。
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