
華蔵寺
慶長5年(1600)、吉良義定[きらよしさだ]が吉良家の菩提寺として建立。本堂にある池大雅[いけのたいが]作の花鳥風月が描かれた44面の襖絵はみごと。本堂裏には枯山水庭園があり、見学もできる。吉良家代々の墓のなかには吉良上野介義央[きらこうずのすけよしひさ]の墓も。吉良上野介義央自らが彩色したという木像は県指定の文化財にもなっている。
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慶長5年(1600)、吉良義定[きらよしさだ]が吉良家の菩提寺として建立。本堂にある池大雅[いけのたいが]作の花鳥風月が描かれた44面の襖絵はみごと。本堂裏には枯山水庭園があり、見学もできる。吉良家代々の墓のなかには吉良上野介義央[きらこうずのすけよしひさ]の墓も。吉良上野介義央自らが彩色したという木像は県指定の文化財にもなっている。
天武天皇の時代に創建された古刹。源頼朝、義経の父、義朝[よしとも]が平治の乱で敗れ、長田忠致[おさだただむね]に暗殺された地として知られている。境内には義朝の墓がある。
須佐之男命[すさのおのみこと]を祀る、全国天王社の総本社。旧暦2月1日夜に行われる開扉祭は、春を迎える火の祭で、直径1m、長さ10mの大松明2本を担ぎ、重要文化財の楼門を潜り抜け拝殿前に整列し、その間を神職が本殿に進み、炎の明かりの下春の訪れを感謝し、災いの無いことを祈る。国の重要無形民俗文化財(ユネスコ無形文化遺産)の尾張津島天王祭は、夏病みに罹る事無く無事夏を過ごす事を祈る。10月第1日曜に行われる秋祭は、11両のからくり人形を飾った山車と3両の石採祭車が神社に集まり、五穀豊穣を感謝する。
神社境内に湧く湧水が万病に効くとして、古くから信仰を集めてきた神社。平安時代に、恋人の病を治そうとこの地を訪れた桜姫が、水に辿り着けずに亡くなったという悲話から、縁結びの神様ともいわれている。社務所で紙コップを購入して願い事を書き、拝殿前の井戸の「恋の水」を半分ほど入れる。神棚に供えて鈴を鳴らし、賽銭を奉納し二礼二拍手一礼して神頼みを。
松平家の四代・親忠が子孫繁栄などを祈願するため祀った。家康も氏神として幼い頃より崇敬し、大きな合戦のたびに戦勝祈願に訪れている。現社殿は家康造営の本殿を、家光が増築して権現造り[ごんげんづくり]に改築した珍しい合作。松平家の氏神に加えて、家光が直々に幕府の守り神=東照宮を奉斎した。極彩色の社殿群はいずれも国の重要文化財。
歴代将軍の等身大の位牌や重要文化財のふす間絵や多宝塔などが見どころ。境内から総門、山門を通じ中央に位置するように岡崎城を見られる。
徳川家康の産土神(生まれた土地の神様)で、安産の神様。華麗な彩色や彫刻は江戸時代のもので、中でも極彩色の本殿や楼門は荘厳な雰囲気。3年に亘る平成大修復が平成29年(2017)11月を以って竣功し、社殿建立当時の絢爛豪華な姿に蘇った。
池鯉鮒大明神[ちりふだいみょうじん]とも呼ばれた古社。日本武尊[やまとたけるのみこと]が東征の際に皇祖神を祀ったと伝えられ、まむし除けや雨乞い、安産の神様として信仰を集めている。境内には、室町時代に建てられた多宝塔(国重要文化財)をはじめ、舞楽面や能面、徳川家康の寄進状などの貴重な重宝が多く残る。毎年5月2日・3日の知立まつりでは、山車からくりなどを上演する本祭と、花車が繰り出される間祭が1年おきに交互に行われている(ユネスコ無形文化遺産)。
鳳来寺山の中腹にある寺。大宝2年(703)に利修仙人により開山された古刹で、薬師信仰や山岳修験の霊山として信仰を集めた。本堂は1425段の石段を登った上に立ち、うっそうとした杉木立に囲まれている。仁王門(重要文化財)が現存する。本堂の東に、徳川家光が建てた東照宮があり、日光東照宮にならって見事な彫刻が施されている。
松平家の菩提寺。家康公より寺領100石を下賜され、以来幕末まで、時の将軍から手厚い保護を受ける。現在の山門や本道は徳川家光により建立。
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