
蛤坂
犀川大橋を渡り、寺町側橋詰から上がる坂。加賀藩前期に妙慶寺坂といったが、享保18年(1733)の火災後、蛤が口を開いたようになったのでこの名がついた。国の重要伝統的建造物群保存地区に一部選定されている。
- 「野町駅」から徒歩11分
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犀川大橋を渡り、寺町側橋詰から上がる坂。加賀藩前期に妙慶寺坂といったが、享保18年(1733)の火災後、蛤が口を開いたようになったのでこの名がついた。国の重要伝統的建造物群保存地区に一部選定されている。
天正9年(1581)、能登の領主となった前田利家は小丸山城を築城。能登方面からの攻撃に備えて真宗以外の各宗派29の寺を集めて、出城の機能をもたせた。妙観院や長齢寺など16ケ寺が現在も残り、これら寺院群を巡る遊歩道として整備されている。路傍に佇むお地蔵様、見え隠れする寺の甍[いらか]に導かれながら、四季折々の風情を見せる散策路をのんびり歩いてみたい。すべて回ると約2km、所要2時間。
「うつくしき川は流れたり」で始まる『犀川』の詩でも分かるように、この川のほとりで育ち、自らの作品にもこの川を登場させている室生犀星。犀川大橋から桜橋に向かって川沿いの両岸に延びるのが犀星のみちで、桜橋寄りの右岸には、流し雛をかたどった彼の文学碑が立っている。
寺院がひしめく寺町通りから、犀川に架かる桜橋に抜ける途中にあるジグザグの坂。寺町台に下宿していた旧四高生たちの散歩道にもなっていたという坂で、下から見上げると横に倒したWの字に見えることからこの名が付けられた。正式名称は石伐坂[いしきりざか]といい、室生犀星も好んで歩いたところ。途中で見え隠れする犀川の流れが美しい。
文政3年(1820)に町割を改めお茶屋を集めたのが始まり。伝統と格式を誇り、文人や裕福な商人たちの社交場で、芸妓たちも琴・謡曲・茶の湯など、京都の祇園に並ぶ洗練された芸を身に付けていた。石畳の通りの両側には細かい木虫籠と呼ばれる格子のはまった家々が軒を連ね、情緒たっぷり。お茶屋は一見[いちげん]さんはお断りだが、夕方になると三味線や太鼓の音が静かに流れてくる。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定。
室町時代の物々交換から始まったといわれる飯田の朝市。飯田町の繁華街・大町通りで開催され、毎月2と7の付く日に市が立つので、別名を「二・七の朝市」という。能登では輪島の次に賑わいを見せるといわれるが、露店も2~3軒、多いときで5~6軒ほどと規模はそれほど大きくない。ここでは民芸品や土産品などは見られず、キュウリ・トマト・大根といった野菜類を中心に、花や漬物などといった生活密着型の品物が並んでいる。地域に根ざした市で、その分素朴な雰囲気が楽しめる。
昭和44年(1969)開設。能登半島の最先端・禄剛崎から海岸線に沿って約8km、椿展望台まで続く遊歩道。日本海の荒波に削られた岩礁あり、美しい椿の群生林あり、静かに波が打ち寄せる砂浜ありと変化に富んだコース。ほとんどバス路線と平行しているので、途中でバスも利用できる。「美しい日本の歩きたくなる道500選」に選定。毎年10月初旬には、岬自然歩道を歩こう大会も開催されている。全コース所要2時間30分~3時間。
主要観光スポットを押さえたコミュニティバス。道の駅輪島ふらっと訪夢を起点に海、鯨、档、漆、城兼の5コースが巡回し、輪島塗の器のマークが付いたバス停で乗降可能。
大小の入江からなるリアス式海岸で、日本百景の一つに数えられる。小さな湾だが、屈折が多く、入江が九十九を数えるとして九十九湾の名がある。湾の中央には蓬茉島が浮かび、弁財天が祀られている。湾内では遊覧船が運航し、箱庭のような海岸線美を楽しめる。
のと海洋ふれあいセンター下を出発し、顔面岩や蓬莱島など九十九湾のみどころを巡る約40分のコース。魚の餌付けショーが人気を集めている。
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