西検番事務所
大正11年(1922)、芸妓の稽古場や事務所として建てられた瓦葺の建物。平成15年(2003)7月1日に国登録有形文化財に指定された。寄棟造り、下見板張りの洋風建築は、大正ロマンを偲ばせる。
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大正11年(1922)、芸妓の稽古場や事務所として建てられた瓦葺の建物。平成15年(2003)7月1日に国登録有形文化財に指定された。寄棟造り、下見板張りの洋風建築は、大正ロマンを偲ばせる。
兼六園内の霞ケ池北岸に立つ灯籠。灯籠の足が二股になっていて、ちょうど琴の糸を支える琴柱に似ていることからこの名がある。その前に架かる虹橋を琴に見立てた意匠は、兼六園のシンボルとなっている。
金沢城公園の兼六園に面する、国重要文化財指定の豪壮な城門。金沢城の裏口に立つ搦手[からめて]門だったもので、高麗門の一の門、櫓門の二の門に、続櫓と2層2階建ての石川櫓で構成された枡形門だ。櫓門の上部の渡櫓や左右に続く海鼠壁の太鼓塀には、隠し鉄砲狭間や石落としなどを備え、櫓の屋根には鉛の瓦が葺かれた。瓦が白っぽいのもそのため。宝暦9年(1759)の宝暦の大火で焼失し、天明8年(1788)に再建され、平成26年(2014)には約8年をかけた全面補修工事が終了。加賀百万石の金沢城のシンボルとしての堂々とした姿を見せて人気を呼んでいる。
長町で唯一、一般公開されている武家屋敷跡。代々奉行職を歴任してきた加賀藩士・野村伝兵衛信貞の屋敷跡で、格式を重んじた当時の様式を見学できる。特に、加賀藩のお抱え絵師で狩野派の画人・佐々木泉景による山水画をほどこした襖や、総檜造りの格天井、ギヤマン入りの障子戸などは、文化財的な評価も高い。また、庭園には樹齢400年のヤマモモやシイの古木、六尺に及ぶ大雪見灯篭、さくらみかげ石の大架け橋などが配置され、濡れ縁のすぐ下にまで迫る曲水、落水を配した佇まいからは、屋敷と庭園とが調和した造りを感じられる。また、石造りの階段を上ると茶室があり、眼下に庭園を眺めながら抹茶を頂ける(詳細要問合せ)。
加賀百万石前田家を代表する建造物。文久3年(1863)、13代齋泰が12代奥方、真龍院のため、兼六園に造営した。大名の風格と数奇を併せ持つ稀有な書院造で、庭園と共に国の重要文化財。長さ約20m、1本の柱も無いつくしの縁から眺められる庭園や極彩色の花鳥が欄間・障子腰板・ギヤマンに描かれるなど奥方の御殿にふさわしい意匠を凝らした造りだ。
加賀藩の中級武士、高田家の屋敷跡。復元された重厚な長屋門が見もの。長屋門はその名の通り長屋付きの門で、厩と仲間部屋、納屋が備わっている。
早道飛脚[はやみちびきゃく]足軽の組屋敷地であった旧早道町(現幸町周辺)に残されていた高西家、清水家の2軒の足軽屋敷を移築し、内部を公開している。足軽とは身分の低い歩兵のことだが、加賀藩の足軽は、小さいながらも庭付きの一戸建てに住んでいた。また、間取りも接客空間を重視した武家屋敷の流れをくむ。職務、武術、世襲など足軽関係の文献資料も公開している。所要20分。
大正時代の建物の趣はそのままに、平成22年(2010)に旧石川県庁をリノベーション。周辺の総合観光案内や無料の休憩スペースのほか、ポール・ボキューズをはじめ、工芸品のセレクトショップなどが出店する。
金沢城公園の北側、大手門跡の前にある金沢城の外堀。慶長初期(1600年前後)に造られたと考えられており、百間堀や白鳥堀が埋め立てられた中、この堀だけが当時のまま残っている。白鳥堀跡の白鳥路と共に外濠公園として整備され、春には桜が開花して散策によい。
金沢城公園内の中央付近に伸びる内堀に沿ってある長大な建物。平成13年(2001)に復元された城郭建築物で、3層3階の菱櫓と橋爪門続櫓を、2層2階建ての五十間長屋でつないだもの。明治以降の木造城郭建築物では最大規模。菱櫓は大手と搦手を見張る物見櫓、橋爪門続櫓は二ノ丸大手の橋爪門枡形を見張る物見櫓、五十間長屋は武器などの倉庫だった。伝統的な木造軸組工法で建てられた建物は、そのもの自体が展示物で、見学では内部の建物構造が分かるように工夫がなされ、コンピューターグラフィックス映像での解説や模型・発掘調査出土品の展示などもあって楽しめる。
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