
主計町緑水苑
主計町茶屋街の一角にあるこぢんまりとした公園で、ベンチやトイレがあり散策途中の一服に便利。藩政期に金沢城を取り囲んでいた惣構(広い堀と高い土居で外敵の侵入を防ぐ)があった場所で、平成22年(2010)3月に惣構が一部復元された。高さ約3mの土居からは全体を見渡すこともできる。国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
- 「北鉄金沢駅」から徒歩23分/「金沢駅」から徒歩25分
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主計町茶屋街の一角にあるこぢんまりとした公園で、ベンチやトイレがあり散策途中の一服に便利。藩政期に金沢城を取り囲んでいた惣構(広い堀と高い土居で外敵の侵入を防ぐ)があった場所で、平成22年(2010)3月に惣構が一部復元された。高さ約3mの土居からは全体を見渡すこともできる。国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
大正時代の建物の趣はそのままに、平成22年(2010)に旧石川県庁をリノベーション。周辺の総合観光案内や無料の休憩スペースのほか、ポール・ボキューズをはじめ、工芸品のセレクトショップなどが出店する。
文政3年(1820)の創建当時のまま残るお茶屋の建物で、国の重要文化財に指定されている。お茶屋は、2階が客間で押入れや物入れ等はなく、あくまでも遊芸を主体とした優美で繊細なお茶屋特有の粋な造りになっている。客が床の間を背にして座ると、その正面の控えの間が演舞の場となり、芸妓さんの艶やかな舞や三弦などの遊芸が披露される。1階には囲炉裏・石室・井戸なども江戸時代のまま残っており、別棟の寒村庵にて、生菓子付きのお抹茶を頂くことができる(有料)。
江戸時代の町家を再生した建物で、箱階段や蔀戸など昔ながらの造りを見学できる。観光ボランティアガイド「まいどさん」が常駐しており、1時間ほどの周辺ガイドも可(無料)。
浅野川大橋は、大正11年(1922)に浅野川に架けられた西洋風のめがね橋。最初の橋は加賀藩祖・前田利家が架けたものだといい、現在は国道157号線上にあって、大正時代から昭和41年(1966)までは橋上に市電が走っていた。橋長は約55m、幅約17m。鉄筋コンクリート造の3径間連続アーチ橋で、唐草模様付きの格子高欄や復刻されたレリーフ、レトロ調の五灯式あんどん型照明など、昼も夜も雰囲気がある。平成12年(2000)、国登録有形文化財に登録された。
玉泉湖畔に立つかや茸き小屋で平成22年(2010)に建て直し、平成27年(2015)にかやを葺き替えた。かつて江戸時代には氷室小屋に雪を貯蔵し、夏、将軍家に献上していた。今でも大寒に雪を詰め、6月末にそれを取り出す氷室開きが行われている。
江戸時代の加賀藩地域を中心とした民家を展示する野外博物館。町家・武家ゾーンと農家ゾーンから成り、国指定重要文化財の商家・旧松下家住宅や旧鯖波本陣石倉家住宅をはじめ、国指定重要有形民俗文化財の紙漉き農家・旧園田家住宅など、農家や商家、武家門など総計10棟が各地から移築されている。実際に家の中に上がって当時の暮らしを体感できる。
卯辰山中腹の木立の中にある。幼い頃に母を亡くした鏡花が、よく遊んだ卯辰山を眺めながら詠んだ「はゝこひし夕山桜峰の松」という句が刻まれている。
卯辰山公園内にある碑で、昭和22年(1947)に建てられた。秋聲自筆の箴言[しんげん]が刻まれ、金沢の武家屋敷跡の土塀を模した後ろの塀には、室生犀星の筆による秋聲のプロフィールが記された陶板がはめ込まれている。
文政3年(1820)に町割を改めお茶屋を集めたのが始まり。伝統と格式を誇り、文人や裕福な商人たちの社交場で、芸妓たちも琴・謡曲・茶の湯など、京都の祇園に並ぶ洗練された芸を身に付けていた。石畳の通りの両側には細かい木虫籠と呼ばれる格子のはまった家々が軒を連ね、情緒たっぷり。お茶屋は一見[いちげん]さんはお断りだが、夕方になると三味線や太鼓の音が静かに流れてくる。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定。
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