
一本杉通り
室町時代から続く風情あふれる商店街には、登録有形文化財に指定された明治~昭和建築の商家5軒が点在し、和ろうそくなど伝統工芸の店から、今風の作家の作品を扱う店まで幅広いジャンルが揃う。のんびり歩いてステキなものを見つけよう。
- 「七尾駅」から徒歩11分
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室町時代から続く風情あふれる商店街には、登録有形文化財に指定された明治~昭和建築の商家5軒が点在し、和ろうそくなど伝統工芸の店から、今風の作家の作品を扱う店まで幅広いジャンルが揃う。のんびり歩いてステキなものを見つけよう。
金沢城公園内の中央付近に伸びる内堀に沿ってある長大な建物。平成13年(2001)に復元された城郭建築物で、3層3階の菱櫓と橋爪門続櫓を、2層2階建ての五十間長屋でつないだもの。明治以降の木造城郭建築物では最大規模。菱櫓は大手と搦手を見張る物見櫓、橋爪門続櫓は二ノ丸大手の橋爪門枡形を見張る物見櫓、五十間長屋は武器などの倉庫だった。伝統的な木造軸組工法で建てられた建物は、そのもの自体が展示物で、見学では内部の建物構造が分かるように工夫がなされ、コンピューターグラフィックス映像での解説や模型・発掘調査出土品の展示などもあって楽しめる。
長町で唯一、一般公開されている武家屋敷跡。代々奉行職を歴任してきた加賀藩士・野村伝兵衛信貞の屋敷跡で、格式を重んじた当時の様式を見学できる。特に、加賀藩のお抱え絵師で狩野派の画人・佐々木泉景による山水画をほどこした襖や、総檜造りの格天井、ギヤマン入りの障子戸などは、文化財的な評価も高い。また、庭園には樹齢400年のヤマモモやシイの古木、六尺に及ぶ大雪見灯篭、さくらみかげ石の大架け橋などが配置され、濡れ縁のすぐ下にまで迫る曲水、落水を配した佇まいからは、屋敷と庭園とが調和した造りを感じられる。また、石造りの階段を上ると茶室があり、眼下に庭園を眺めながら抹茶を頂ける(詳細要問合せ)。
寛永9年(1632)に3代藩主利常が板屋兵四郎に命じて造らせた水路。当時の金沢はたび重なる火災から城下を守るための防火用水や、水の便が悪かった金沢城内への引水が必要だった。そこで城から約11km離れた犀川上流の上辰巳町から兼六園まで水路を造り、当時の技術としては画期的な逆サイフォン方式で兼六園から金沢城へと水を導いたのだ。今も石引通りの歩道沿いなどで、水路の一部を見ることができる。
加賀藩の農村支配において重要な役割を果たした十村の屋敷。茅葺の表門は富樫家より拝領と伝わる。嘉永6年(1853)に能登を巡見した13代藩主前田斉泰の本陣をつとめ、主屋の内装は藩主を迎えた頃のすがたを留めている。加賀藩農政を支えた豪農の屋敷として、その面影を偲ぶことができる。国指定重要文化財。
金沢城公園内、本丸園地の北側にある国の重要文化財の長屋建築。宝暦9年(1759)の大火で焼失した後、安政5年(1858)に再建されたもので金沢城跡に現存する長屋建築としては唯一のもの。長さは26間半(約48m)、幅3間(約5.4m)の2階建ての多聞櫓で、鉛瓦葺の堅牢な構造のため武器弾薬の倉庫としても使用された。
兼六園内の霞ケ池北岸に立つ灯籠。灯籠の足が二股になっていて、ちょうど琴の糸を支える琴柱に似ていることからこの名がある。その前に架かる虹橋を琴に見立てた意匠は、兼六園のシンボルとなっている。
玉泉湖畔に立つかや茸き小屋で平成22年(2010)に建て直し、平成27年(2015)にかやを葺き替えた。かつて江戸時代には氷室小屋に雪を貯蔵し、夏、将軍家に献上していた。今でも大寒に雪を詰め、6月末にそれを取り出す氷室開きが行われている。
加賀百万石前田家を代表する建造物。文久3年(1863)、13代齋泰が12代奥方、真龍院のため、兼六園に造営した。大名の風格と数奇を併せ持つ稀有な書院造で、庭園と共に国の重要文化財。長さ約20m、1本の柱も無いつくしの縁から眺められる庭園や極彩色の花鳥が欄間・障子腰板・ギヤマンに描かれるなど奥方の御殿にふさわしい意匠を凝らした造りだ。
日本五大山城の内、七尾に残る2つの城跡の1つ。七尾城は室町幕府から守護に任じられた能登畠山氏が1500年頃築城。城山に本丸、二の丸、三の丸など多数の曲輪群が堅固に築かれ、難攻不落と謳われた。天正5年(1577)上杉謙信によって落城し、約170年間能登を統治した能登畠山氏が滅亡した。本丸跡からは七尾市街と七尾湾が見渡せる。
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