
魯山人寓居跡 いろは草庵
魯山人の才能を見込んだ旅館「吉野屋」の当主が別荘を提供し、彼の住居兼工房とした場所。作品展示室があり、庭を望むロビーでは四季折々の庭を楽しめる。
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魯山人の才能を見込んだ旅館「吉野屋」の当主が別荘を提供し、彼の住居兼工房とした場所。作品展示室があり、庭を望むロビーでは四季折々の庭を楽しめる。
江戸時代の加賀藩地域を中心とした民家を展示する野外博物館。町家・武家ゾーンと農家ゾーンから成り、国指定重要文化財の商家・旧松下家住宅や旧鯖波本陣石倉家住宅をはじめ、国指定重要有形民俗文化財の紙漉き農家・旧園田家住宅など、農家や商家、武家門など総計10棟が各地から移築されている。実際に家の中に上がって当時の暮らしを体感できる。
玉泉湖畔に立つかや茸き小屋で平成22年(2010)に建て直し、平成27年(2015)にかやを葺き替えた。かつて江戸時代には氷室小屋に雪を貯蔵し、夏、将軍家に献上していた。今でも大寒に雪を詰め、6月末にそれを取り出す氷室開きが行われている。
『平家物語』で知られる仏御前の里。美貌で知られた御前は14歳で都に出て歌舞を舞う白拍子となり、17歳のときに祇王、祇女のとりなしで平清盛の前で舞い、寵愛を受けることになる。しかし、それまで清盛の寵愛を受けていた祇王、祇女は失意の末に出家。それを知った御前は、わずか半年で清盛のもとを去り、のちにここ小松市原町で庵を結ぶが、21歳で早世した。同町の林成人氏宅には仏御前尊像があり、家人がその逸話を語ってくれる。
歌舞伎『勧進帳』の舞台として有名。源頼朝の追っ手を逃れて奥州に逃げ延びる義経一行は、ここで守護の富樫の尋問に合う。芝居を打って白紙の勧進帳を読み上げ、義経を打擲[ちょうちゃく]して主人の身を守ろうとする弁慶。それに心打たれた富樫は一行を通したという。源義経・弁慶・富樫左衛門尉の像が立ち、近くには勧進帳ものがたり館や安宅住吉神社、休憩・飲食施設を備えた安宅ビューテラスもある。
明治~昭和初期に米穀や金融で財を成した吉田茂平氏の旧宅を移築、公開している。神代杉や欅など銘木を多用し、匠の技を尽くした普請道楽ともいうべき農家住宅。また、貴重な灯籠と名石を集めた日本庭園の紫雲園も必見。
建物は今から200年前に建てられた加賀藩肝煎の民家。茅葺き屋根の平屋建てで、巨大な松の梁や黒光りする威厳のあるケヤキ柱などが歴史を感じさせる。40種類以上のコケに覆われた庭園も美しい。
浅野川大橋は、大正11年(1922)に浅野川に架けられた西洋風のめがね橋。最初の橋は加賀藩祖・前田利家が架けたものだといい、現在は国道157号線上にあって、大正時代から昭和41年(1966)までは橋上に市電が走っていた。橋長は約55m、幅約17m。鉄筋コンクリート造の3径間連続アーチ橋で、唐草模様付きの格子高欄や復刻されたレリーフ、レトロ調の五灯式あんどん型照明など、昼も夜も雰囲気がある。平成12年(2000)、国登録有形文化財に登録された。
加賀藩の農村支配において重要な役割を果たした十村の屋敷。茅葺の表門は富樫家より拝領と伝わる。嘉永6年(1853)に能登を巡見した13代藩主前田斉泰の本陣をつとめ、主屋の内装は藩主を迎えた頃のすがたを留めている。加賀藩農政を支えた豪農の屋敷として、その面影を偲ぶことができる。国指定重要文化財。
室町時代から続く風情ある七尾市の商店街。JR七尾駅前から七尾湾に向かって5分ほど歩くとある500mほどの通りで、和ろうそくや輪島塗、九谷焼などの伝統工芸品を扱う店から、呉服店やパン店、精肉店まで幅広いジャンルの約50店舗の商店が揃う。令和6年能登半島地震のため、通りに点在していた登録有形文化財の商家5軒のうち3軒が修復中。毎年春には、商家や民家の屋内、花嫁のれん館で華やかに「花嫁のれん展」を開催。「語り部処」では、まちの歴史や出来事を聞くことができるので立ち寄ってみよう。
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