
野島埼灯台
房総半島の最南端に立つ日本で2番目に古い西洋式灯台で、国の登録有形文化財に登録されている。明治2年(1869)、フランス人技師ヴェルニーによって建造され、関東大震災後、大正14年(1925)に復旧された。高さ29m、光は約31km先まで届く。らせん階段を上った展望台からは、伊豆諸島までも見渡せる。
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房総半島の最南端に立つ日本で2番目に古い西洋式灯台で、国の登録有形文化財に登録されている。明治2年(1869)、フランス人技師ヴェルニーによって建造され、関東大震災後、大正14年(1925)に復旧された。高さ29m、光は約31km先まで届く。らせん階段を上った展望台からは、伊豆諸島までも見渡せる。
大正8年(1919)に点灯された高さ14.7mの灯台。房総半島の南西端に立ち、海のまちならではのシンボル。灯台の内部を見学することはできないが、敷地内の高台からは、館山湾を行き交う船や富士山を見渡すことができる。
房総半島のほぼ真ん中、面積約3.2haの急傾斜地に、階段状に広がる田んぼが千葉県指定名勝の「鴨川大山千枚田」。その棚田を望む地に立つ棚田倶楽部は、地域と都市の人々の交流の場として、また地域のイベントや体験プログラムなどで使用されている地域資源総合管理施設。そのテラスは棚田を眺める特等席。隣接の古民家レストラン「ごんべい」では地域の歴史を感じさせるランチ、カフェが楽しめる。
白浜町滝口の長尾川下流にかかる、石積み工法の洋式三重橋。3つのアーチがあるので本当はメガネではないが、川面に移る姿からめがね橋とよばれるようになった。橋は明治21年(1888)に、村民の寄付399円40銭で建設された。架設以前は川を歩いて渡っていたという。関東大震災にも壊れることなく、戦時中は戦車が通ったという頑丈な橋だ。昭和52年(1977)と平成5年(1993)に補修工事が行われ、建設当時の姿を留めている。県指定有形文化財。日本の名橋百選。
君津市内を中心に8社の生産農場や観光農園、農産物加工センターなどを持つ「カズサの愛彩グループ」が運営する、直売所とフードコートの複合施設。館内には、グループや地元の農家で生産される新鮮な野菜を販売する直売所をはじめ、地元野菜をふんだんに使用したナポリピッツァやオリジナルラーメン、スイーツなどのメニューを味わえるグルメエリア。イチゴやトウモロコシ、さつま芋など季節毎の旬な農産物の収穫体験も人気だ。
全国に100カ所ある恋人の聖地の一つで、千葉県で最初に認定された。東京湾フェリーターミナルの隣に立ち、東京湾が一望できる。夕日がとてもロマンティックな場所。
沖合い約400mまで延びる日本最長の桟橋。平成22年(2010)4月に利用が開始され、「にっぽん丸」、「ぱしふぃっく びいなす」などの大型客船や高速ジェット船(季節運航)の発着点として利用されている。また、桟橋の中間にはウミホタルのモニュメントがあり、絶好の写真撮影スポット。平成24年(2012)3月、桟橋のたもとに海洋民俗博物館を中心に、桟橋へ接岸する船舶利用者の客船ターミナル、湾内に生息する生き物が観察できる大型展示水槽、展望デッキ、観光情報の発信や「館山ふるさと大使」であるさかなクンのイラスト等を展示したギャラリーなどが揃う「“渚の駅”たてやま」がオープン。
戦国大名里見氏の最後の居城跡である館山城跡(現在の城山公園)にある、歴史と民俗の博物館。原始~江戸時代の安房の歴史と文化、里見氏ゆかりの武具や書状、民俗資料などを展示。
千葉県東部海岸地帯のほぼ中央にある岬町には、断崖の見事な太東埼がある。岬突端部、標高約68m地点の崖上にそびえ立つ太東崎灯台は白亜塔形の中型灯台。昭和27年(1952)に初点灯されたが、断崖の侵食によって昭和47年(1972)に100m後退させ、現在の位置に建て直された。周辺は南房総国定公園に指定。東には視界を遮るものもなく、南側手前には国の天然記念物第1号に指定された太東海浜植物群落が見え、八幡岬までを見渡せる。
30分に一度、滝のように水が流れ落ちる名物橋で江戸時代に灌漑用(江戸時代から300年近く農業用水を送り続けた大樋の名残で30分間隔で落水する)として作られた。じゃあじゃあ橋の愛称で親しまれ、小江戸の町並みに生える風情ある水音は「残したい日本の音風景100選」にも選ばれている。
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