
特別史跡 加曽利貝塚
日本最大級の縄文時代の貝塚で、貝塚では唯一の国特別史跡。東京ドーム約3個分の広大な敷地に、博物館や貝層の断面が見られる観覧施設、復元された竪穴住居などが点在している。博物館では、現地で発掘された縄文土器や石器などが展示されており、縄文人の暮らしをわかりやすく解説している。
- 「小倉台駅」から徒歩14分/「桜木(千葉)駅」から徒歩17分
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日本最大級の縄文時代の貝塚で、貝塚では唯一の国特別史跡。東京ドーム約3個分の広大な敷地に、博物館や貝層の断面が見られる観覧施設、復元された竪穴住居などが点在している。博物館では、現地で発掘された縄文土器や石器などが展示されており、縄文人の暮らしをわかりやすく解説している。
武家屋敷3棟の中では最も格の高い武家屋敷で、三百石以上の大屋敷に相当。茅葺き屋根の母屋全体がL字状に折れ曲がっているのは、間口の広くない敷地で隣家との間に充分な空き地をとるための工夫。その建築様式から、佐倉に残る武家屋敷の中では最古と考えられている。室内には当時の調度品などをイメージ展示している。
太田山公園の山頂に位置し、木更津の地名にゆかりのある日本武尊と弟橘媛のブロンズ像が立つ。木更津市街や東京湾も見下ろせ、360度の眺望がひらける。
大正4~13年(1915~1924)に志賀直哉が住んでいた場所。ここで、『城の崎にて』『暗夜行路』といった日本文学史を飾る数々の名作を世に送り出した。白樺派の同人をはじめ、芥川龍之介や岸田劉生なども訪れ、芸術家のサロンのような趣を呈していたという。居宅の建物はないが、当時の庭木が残り、ほど近いところに茶室風書斎が移築されている。書斎は土・日曜の10~14時のみ一般公開。雨天の場合は実施しない。
江戸時代に堀田氏の居城であった佐倉城の城跡一帯を整備した公園。城の建物は明治初期にほとんどすべて取り壊されたが、土塁や空堀跡などが残り、往時の面影をとどめている。樹木の茂る園内には芝生広場や散策路、姥が池が配され、桜や初夏の花菖蒲が美しい。
木更津市街の東にあり、駅周辺や東京湾を一望できる丘全体に広がる公園。園内には四季折々の花木が植えられ、山頂のきみさらずタワーや博物館、18世紀初めの代表的民家・旧安西家などが点在する。
野島埼灯台周辺の海岸地帯を整備した公園。南端岩礁部には朝日と夕日の見えるベンチがあり、南房総でも随一の絶景を誇る。一周20分ほどの散策路には黒御影石で作られた房総半島最南端の碑などのアート作品が点在し、芸術鑑賞も楽しめる。
大正5年(1916)に作家・芥川龍之介が滞在、のちに芥川荘と名付けられた一宮館の離れ。龍之介はここで、後に妻となる塚本文への恋文を書いたといわれる。明治30年代に造られた茅葺きの建物で、文化庁の登録文化財にも指定。
明治7年(1874)、イギリス人リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計により造られた高さ約31mのレンガ造りの西洋式灯台。99段のらせん階段を登ったあとに開ける眺望は雄大そのもの。隣接して近代灯台の歩みが分かる犬吠埼灯台資料展示館もある。遊歩道が整備され、荒波が岩に砕ける豪快な海辺の散策が楽しめる。近代化産業遺産(経済産業省)、重要文化財に指定されている。
佐倉藩最後の藩主だった、堀田正倫[ほったまさとも]の邸宅。主屋5棟と土蔵、門番所は国の重要文化財に指定されている。建物を含めた庭園は国の名勝に指定されている。明治23年(1890)竣工の建物は、明治期の上級和風建築の特色を残している。自然の地形を生かしたさくら庭園は、松やサルスベリと置き石の調和が見事だ。
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