
めがね橋
白浜町滝口の長尾川下流にかかる、石積み工法の洋式三重橋。3つのアーチがあるので本当はメガネではないが、川面に移る姿からめがね橋とよばれるようになった。橋は明治21年(1888)に、村民の寄付399円40銭で建設された。架設以前は川を歩いて渡っていたという。関東大震災にも壊れることなく、戦時中は戦車が通ったという頑丈な橋だ。昭和52年(1977)と平成5年(1993)に補修工事が行われ、建設当時の姿を留めている。県指定有形文化財。日本の名橋百選。
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白浜町滝口の長尾川下流にかかる、石積み工法の洋式三重橋。3つのアーチがあるので本当はメガネではないが、川面に移る姿からめがね橋とよばれるようになった。橋は明治21年(1888)に、村民の寄付399円40銭で建設された。架設以前は川を歩いて渡っていたという。関東大震災にも壊れることなく、戦時中は戦車が通ったという頑丈な橋だ。昭和52年(1977)と平成5年(1993)に補修工事が行われ、建設当時の姿を留めている。県指定有形文化財。日本の名橋百選。
八幡岬公園の北東2kmの場所にある展望台。官軍塚とは、戊辰[ぼしん]戦争の末期、函館五稜郭に向かう熊本藩の軍用船が、勝浦川津沖で難破した際の死者130人以上を埋葬供養した場所。眼下に180度広がる太平洋の眺望はすばらしい。敷地内には、山すそに開けた美しい勝浦の港を詠んだ「ひく山は重りあひておのづから小さき港と成りゐたりける」の斎藤茂吉の歌碑も建立されている。
銀色に輝くクジラの尾のモニュメントが目印の公園。約5800平方mの敷地内には散策路が設けられ、花壇を見渡せる丘、藤棚などがあり、これらを眺めながら散策ができる。12~3月はポピーやキンセンカ、4~9月はマリーゴールドやサルビアの花がきれい。
伊藤左千夫を記念した公園。園内には、中央に『野菊の墓』の政夫と民子の像があるほか、アララギ派八歌人の歌碑などが建てられている。ここから伊藤左千夫生家のある歴史民俗資料館までは、野菊路とよばれる散歩道になっている。
野島埼灯台周辺の海岸地帯を整備した公園。南端岩礁部には朝日と夕日の見えるベンチがあり、南房総でも随一の絶景を誇る。一周20分ほどの散策路には黒御影石で作られた房総半島最南端の碑などのアート作品が点在し、芸術鑑賞も楽しめる。
慶長14年(1609)、スペイン領フィリピン総督一行を乗せた帆船サンフランシスコ号が、メキシコに向かう途中に岩和田沖で遭難。村民の救助によって、乗員373人中317人が助かった。これを機にスペインやメキシコとの交流が始まり、その友好の証として昭和3年(1928)に建てられたのがこの記念塔。天に向かってそそり立つ高さ17mの塔は、町のシンボルになっている。また、塔が立つ高台の公園からは、御宿の町並みと海岸線を一望できる。
大正5年(1916)に作家・芥川龍之介が滞在、のちに芥川荘と名付けられた一宮館の離れ。龍之介はここで、後に妻となる塚本文への恋文を書いたといわれる。明治30年代に造られた茅葺きの建物で、文化庁の登録文化財にも指定。
明治7年(1874)、イギリス人リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計により造られた高さ約31mのレンガ造りの西洋式灯台。99段のらせん階段を登ったあとに開ける眺望は雄大そのもの。隣接して近代灯台の歩みが分かる犬吠埼灯台資料展示館もある。遊歩道が整備され、荒波が岩に砕ける豪快な海辺の散策が楽しめる。近代化産業遺産(経済産業省)、重要文化財に指定されている。
太田山公園の山頂に位置し、木更津の地名にゆかりのある日本武尊と弟橘媛のブロンズ像が立つ。木更津市街や東京湾も見下ろせ、360度の眺望がひらける。
実測日本地図を初めて完成させた伊能忠敬が、30年余りを過ごした商家。国の史跡に指定されている。
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