
旧吉田家住宅歴史公園
名主も務めた旧家・吉田家。国の重要文化財に指定された8棟の建造物のうち、長屋門や主屋、書院、新座敷、蔵などが見学できる、それぞれ趣の異なる建物は見応え充分(素足での入館はできないので、靴下を着用)。園内には「長屋門カフェ」があり、コーヒーはもちろんハヤシライスやうどんなどのランチも食べられる。
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名主も務めた旧家・吉田家。国の重要文化財に指定された8棟の建造物のうち、長屋門や主屋、書院、新座敷、蔵などが見学できる、それぞれ趣の異なる建物は見応え充分(素足での入館はできないので、靴下を着用)。園内には「長屋門カフェ」があり、コーヒーはもちろんハヤシライスやうどんなどのランチも食べられる。
大正4~13年(1915~1924)に志賀直哉が住んでいた場所。ここで、『城の崎にて』『暗夜行路』といった日本文学史を飾る数々の名作を世に送り出した。白樺派の同人をはじめ、芥川龍之介や岸田劉生なども訪れ、芸術家のサロンのような趣を呈していたという。居宅の建物はないが、当時の庭木が残り、ほど近いところに茶室風書斎が移築されている。書斎は土・日曜の10~14時のみ一般公開。雨天の場合は実施しない。
江戸時代に堀田氏の居城であった佐倉城の城跡一帯を整備した公園。城の建物は明治初期にほとんどすべて取り壊されたが、土塁や空堀跡などが残り、往時の面影をとどめている。樹木の茂る園内には芝生広場や散策路、姥が池が配され、桜や初夏の花菖蒲が美しい。
佐倉藩最後の藩主だった、堀田正倫[ほったまさとも]の邸宅。主屋5棟と土蔵、門番所は国の重要文化財に指定されている。建物を含めた庭園は国の名勝に指定されている。明治23年(1890)竣工の建物は、明治期の上級和風建築の特色を残している。自然の地形を生かしたさくら庭園は、松やサルスベリと置き石の調和が見事だ。
佐倉城址公園となっている佐倉城跡の東にある宮小路町は、土塁と生垣に囲まれた武家屋敷町の雰囲気を残す地区。くらやみ坂、ひよどり坂といった当時のままの地名の坂道や武家屋敷もあり、現在は3棟の武家屋敷を公開している。旧河原家住宅は千葉県有形文化財、旧但馬家住宅は佐倉市有形文化財に指定、旧武居家住宅は国登録有形文化財。見学では建物内から武士の生活を垣間見ることができる。平成28年(2016)に認定された日本遺産「北総四都市江戸紀行」の構成文化財の一つでもある。
安永5年(1776)に造られた、高さ1.8mの青銅製の釈迦如来座像。かつての鎌ケ谷宿の大国屋(福田)文右衛門が、祖先の供養にと神田の鋳物師に鋳造させたもの。奈良や鎌倉の大仏などのように大型のものではないが、今なお親しみやすい大仏様として地元に愛されている。
武家屋敷3棟の中では最も格の高い武家屋敷で、三百石以上の大屋敷に相当。茅葺き屋根の母屋全体がL字状に折れ曲がっているのは、間口の広くない敷地で隣家との間に充分な空き地をとるための工夫。その建築様式から、佐倉に残る武家屋敷の中では最古と考えられている。室内には当時の調度品などをイメージ展示している。
佐倉武家屋敷のひとつ。旧所在と同一地点に復元されており、屋敷地や庭木など周囲の環境と併せて保全され、敷地全体で武家屋敷の形状を残している。室内の見学や休憩ができる。
佐倉武家屋敷のひとつ。面積約80平方mで3棟の中では最も小規模。当時の小知[しょうち](百石に満たない藩士)の住居といわれている。建物内には武家屋敷地から出土した陶磁器や藩士の生活に関係する資料などが展示されている。
平成2年(1990)に市に寄贈され、博物館の屋外施設として移築復元された。進藤家は代々農業を営み、江戸時代末期には知行主の御地方役(おじかたやく)(代官)をつとめた旧家。建築計画や資材の配達について記された普請帳が残されていたため、建築は弘化4年(1847)に始まり、嘉永3年(1850)に完成したことがわかった。建築年代がはっきりしていること、建築当初の姿をよくとどめていることなどの理由から、平成元年(1989)に袖ケ浦市指定文化財に指定され、大切に保管・活用している。
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