那珂湊反射炉跡
鉄製大砲を鋳造する溶鉄炉があった地。沖に出没する外国船に備え、水戸藩第9代藩主斉昭[なりあき]の命で造られた。現在は復元された反射炉及びレンガを焼いた登り窯が残るのみだが、往時はほかに、役人詰所、大砲方、細工所などがあった。
- 「那珂湊駅」から徒歩7分/「高田の鉄橋駅」から徒歩18分
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鉄製大砲を鋳造する溶鉄炉があった地。沖に出没する外国船に備え、水戸藩第9代藩主斉昭[なりあき]の命で造られた。現在は復元された反射炉及びレンガを焼いた登り窯が残るのみだが、往時はほかに、役人詰所、大砲方、細工所などがあった。
平成元年(1989)に茨城県有形文化財に指定。安永2年(1773)築の寄棟造の主屋、前蔵、衣裳蔵などからなる。主屋の荘厳な茅葺屋根や北を流れる関根川から水を引く回遊式庭園が見どころ。
JR磯原駅東口にあり、地元出身の野口雨情が作詞した童謡が流れる。演奏は9時、12時、14時、16時、17時、18時、19時の1日7回。曲とともに「からくり人形」が登場。駅構内には雨情の童謡のイメージ画もある。
文久2年(1862)に戸崎地区に建てられた農家であり、那珂市に残された最後の曲がり屋ということで、平成11年(1999)に現在の地に移築・復元された。母屋から厩が突き出し、鉤の手に曲がっていることから、「曲がり屋」と呼ばれ、冬の北東の風が母屋に直接吹き付けるのを防いだり、当時重要な労働力だった牛や馬を家族同様に大切にするため厩を屋内に設けたといわれており、寒さの厳しい地方の代表的な民家形式である。
結城駅の北東の高台に位置する城跡歴史公園は、南北朝動乱時代に築城されたと伝えられる結城城の跡地。結城家は室町時代には関東八屋形の一つに数えられ、その後、天正19年(1591)には徳川家康の次男秀康を養子として迎え、慶長6年(1601)の越前福井への国替えまで関東の雄として栄えた。その後、江戸時代の中期(1700年)から幕末まで、この地を治めた徳川譜代の水野家の居城となった。現在、公園として利用されており、春にはさくら祭りが開催される。
土浦城の本丸と二の丸の一部を整備した城址公園。堀に囲まれた城の姿が水に浮かぶ亀に見えたことから、この名が付いたという。櫓門[やぐらもん]は江戸時代前期の城郭建築で本丸にある櫓門としては関東唯一のもの。亀城公園の東櫓は博物館付属資料館になっている。
龍神山の裾野、縄文~江戸時代まで各時代の代表的な建物を復元した古代屋敷の広場や、2000年前のハスの種から開花した大賀ハスが咲く池など、歴史のロマンに浸りながら散策が楽しめる。周辺は、一面の芝生が広がり、家族連れで遊ぶのにいい。
縄文時代後・晩期の大規模貝塚の遺跡公園と考古資料館からなる面積約5万平方mの史跡博物館。自然に囲まれた貝塚広場には貝塚の成り立ちがわかる貝層断面展示施設や、復元堅穴住居などがある。考古資料館では、貝塚や縄文人の暮らしのほか、土浦市内出土考古資料を展示。企画展や体験学習講座も開催されている。見学所要約1時間。
江戸時代中期の上層農家の住宅を移築復元したもの。建物は茨城県内で広く分布した「曲がり屋」で、土間全体が大きく曲がる「土間曲がり」と東側に突き出た厩がもう一つ曲がりをもつ「二つ曲がり」という珍しい様式。屋内には囲炉裏やかまど、厩などが当時のままに復元され、民具などが置かれて当時の暮らしぶりがわかる。令和1年(2019)12月に茨城県指定有形文化財に指定された。
府中藩は元禄13年(1700)に初代水戸藩主徳川頼房の五男・松平頼隆が府中藩主となって以来、水戸徳川家の分家として特に御連枝[ごれんし]とよばれ、格式高かったという。この陣屋門は、江戸屋敷建造の際の余材を用いて建てられたもので、本柱の上に妻破風造の屋根が付き、両脇の控え柱の上にも小さな屋根を付けた高麗門と呼ばれる様式。かつては石岡小学校の校門として使われていた。平成26年(2014)11月、解体修理し石岡市民会館駐車場へ移築された。
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