
糺ノ森
御所の北東に賀茂川と高野川の合流点がある。この2つの川に挟まれた一帯は古くから糺ノ森、または河合の森と呼ばれ、平安時代は潔斎の地として知られていた。河合神社より下鴨神社に至る広大な森の面積は約12万平方m。樹木の中を泉川の清流が流れて、古代の森の名残を伝える。
- 「出町柳駅」から徒歩11分/「元田中駅」から徒歩14分
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御所の北東に賀茂川と高野川の合流点がある。この2つの川に挟まれた一帯は古くから糺ノ森、または河合の森と呼ばれ、平安時代は潔斎の地として知られていた。河合神社より下鴨神社に至る広大な森の面積は約12万平方m。樹木の中を泉川の清流が流れて、古代の森の名残を伝える。
上賀茂神社東約800mに鎮座する境外摂社の大田神社は、芸能・長寿の神様として信仰が厚い古社。その参道東側、古くから「大田ノ沢」と呼ばれている池には、「大田ノ沢のカキツバタ群落」として国の天然記念物に指定されている野生のカキツバタが群生する。約2万5000株の艶やかな濃紫色の花が一面に咲き誇る様子は見事で、平安時代の歌人として知られる藤原俊成が「神山や大田の沢のかきつばた ふかきたのみは色にみゆらむ」と詠んでいるほど。見ごろは5月上旬。
詩仙堂への道筋にある松の木。宮本武蔵と、足利将軍家の剣道指南役を務めた吉岡清十郎の門弟が決闘した場所と伝わり、「宮本・吉岡決闘之地」の碑が立つ。もとは比叡山への道標として植えられたという。
夜に賑わう木屋町通と並行して流れている川で、森鴎外の『高瀬舟』で有名。慶長年間(1596~1615)、豪商・角倉了以[すみのくらりょうい]が大坂との物資輸送のために開いた全長10kmの運河で、二条から伏見を経て宇治川に合流する。高瀬舟を使った物資流通は江戸時代に繁栄を極めたが、大正9年(1920)には交通機関の発達により舟運が途絶えた。往時の面影を知るには木屋町二条にある一之船入跡[いちのふないりあと](史跡)へ。掘割には、復元された全長11.3m、幅2.3mの十五石積の高瀬舟が係留されている。
京の市街地、特に西陣一帯が見渡せる景勝地。東西200m、南北100mのなだらかな丘陵で、平安時代からその美しさが京の人々に愛されてきた。清少納言も「岡は船岡」と讃えている。応仁の乱では西軍の山名宗全が城砦を築き、戦いの場にもなった。現在は遊歩道が延び、船岡山公園として京都市民の憩いの場になっている。
のどかな田園風景が広がる北嵯峨にある観月の名所。周囲約1kmのこの池は、一説に嵯峨野を開拓した秦氏の手によって造られたといわれる。平安時代には池の畔に月見堂や釣殿などがあり、西行や藤原定家らの和歌にも詠まれた。
清滝川渓谷は紅葉の名所として知られ、清滝を起点に高雄までは錦雲渓、下流の落合までは金鈴峡と呼ばれている。整備された川沿いの道は東海自然歩道に指定され、ハイキングコースとして親しまれている。金鈴峡は約1.5km(約30分)で、紅葉のほかに桜や藤、新緑などが楽しめる。
亀岡から京都・嵐山までの保津川沿い、約16kmの渓谷。保津川は、慶長11年(1606)京都の豪商・角倉了以[すみのくらりょうい]が、丹波から京へ木材・薪炭などを運搬する運河として開削したもの。明治末ごろからは船下りが人気を集めるようになり、夏目漱石も乗船している。春は桜、夏は新緑、秋は紅葉、冬は雪景色と四季折々の渓谷美を楽しめ、保津川下りや嵯峨野トロッコ列車など近年観光客で賑わっている。
野宮神社から天龍寺の北側を通って大河内山荘庭園へ通じる長さ400mほどの見事な竹林の小径。青々とした竹は空を覆うほど高く、晴れた日は竹林からもれる日差しを浴びて、気持ちよく散策できる。天気が悪いと昼でもほの暗いがそれもまた趣がある。夕暮れ時も幻想的で、まるで異次元に迷い込んだかのよう。京を代表する風景であり、テレビドラマなどにもよく登場する。
清滝川渓谷は紅葉の名所として知られ、清滝を起点に高雄までは錦雲渓、下流の落合までは金鈴峡と呼ばれている。整備された川沿いの道は東海自然歩道に指定され、ハイキングコースとして親しまれている。錦雲渓は約3km(約1時間)で、紅葉のほかに桜や藤、新緑などが楽しめる。
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