
明治神宮御苑
明治神宮境内。江戸時代に井伊家の下屋敷だったところで、武蔵野の雑木林の面影が残る。6月には苑内の菖蒲田で約1500株のハナショウブが開花。茶室の隔雲亭も趣きがある。都会では珍しい湧水の井戸「清正井」がある。
- 「原宿駅」から徒歩6分/「明治神宮前駅」から徒歩11分
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明治神宮境内。江戸時代に井伊家の下屋敷だったところで、武蔵野の雑木林の面影が残る。6月には苑内の菖蒲田で約1500株のハナショウブが開花。茶室の隔雲亭も趣きがある。都会では珍しい湧水の井戸「清正井」がある。
渋谷の北西の閑静な住宅街、松濤にある松濤美術館近くにある公園。水車小屋のある池もあり、雑踏から逃れてくつろぐには最適の場所だ。
隅田公園は、隅田川の両堤沿いに帯状に広がり、ここに桜並木が続く。左岸(墨田区側)と右岸(台東区側)で整備された区域が若干異なるが、面積は合わせて18万8000平方mほど。墨堤の桜といわれるのは、左岸の並木で、徳川八代将軍吉宗が享保2年(1717)に堤防保護と風流を考えて植えたのが始まり。文化年間(1804~18)には、村民の手でさらに植桜され、桜並木はその見事さが評判となり、明治以降も数多くの文人墨客が訪れ、今日もなお名声を保ち続けている。
おとめ山公園一帯は、江戸時代将軍家の鷹狩りなどの狩猟場として、立入禁止という意味の「御留山[おとめやま]・御禁止山」と呼ばれていたことが、現在の公園名の由来となっている。原っぱがあるほか、樹林地には「東京の名湧水57選」に選定された湧水の流れがある。
江戸時代、早稲田周辺には大名の下屋敷が置かれていたが、尾張徳川家の下屋敷跡は戸山公園に、彦根藩井伊家、高松藩松平家の下屋敷跡は大隈庭園へと姿を変えた。この公園は徳川御三卿のひとつ、清水徳川家の下屋敷跡にあり、回遊式の日本庭園に当時の名残が感じられる。その名は庭園内で湧いていた水が茶道に適していたことに由来。春先のシダレザクラに初夏の新緑とツツジ、アジサイ、秋の紅葉に冬の雪吊りと四季折々の風景が楽しめる。また、公園北側には遊具コーナーとテニスコートがあり、多くの人々に利用されている。
上野駅公園口前から、鴬谷駅の西側に広がる。慶応4年(1868)の彰義隊[しょうぎたい]の戦いで堂塔がほとんど消失した寛永寺の境内で明治6年(1873)には日本で最初の公園に指定。大正13年(1924)に当時の東京市が宮内省から下賜され、都市公園として整備。春にはソメイヨシノ、ヤマザクラなどの桜が咲き乱れ、都内有数のサクラの名所でもある。
8万8000平方mの広大な敷地に、緑豊かな樹林が繁る区立公園。春にはタカトオコヒガンザクラやコブシが咲き、サラリーマンやOL、区民の憩いの場として親しまれている。なかでも水の広場に設けられた幅38m、落差5mの新宿ナイアガラの滝は公園のシンボル。夏はちびっこ広場にジャブジャブ池が開設され、子ども達に人気だ。
「日本で一番小さな植物園」として知られるコンパクトさながら、緑豊かな癒やしの時間がゆったりと流れる植物園。2004年の開園以来20年以上愛され続け、2023年7月に「農と食の地域拠点」をテーマにコミュニティ型植物園としてリニューアル。
三菱の創設者、岩崎家の旧本邸。敷地内には洋館、和館、撞球室(ビリヤード場)が現存し、重要文化財に指定されている。洋館はジョサイア・コンドルの設計により、明治29年(1896)に完成したもので、日本を代表する木造の西洋風邸宅。書院造りを基調とする和館との和洋併置式は、その後の日本の建築文化にも影響を与えている。
谷中銀座の南にある公園。日本近代美術の先駆者だった天心が、横山大観とともに設立した日本美術院の跡地である。園内に建つ六角堂には、平櫛田中[ひらぐしでんちゅう]作の天心座像が安置されている。
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