日光東照宮 御水舎
東照宮内の神厩舎を過ぎた、参道の曲り角にある清楚な雰囲気の建物。元和4年(1618)、佐賀藩主・鍋島勝茂による奉納で、唐破風銅板葺きの豪華な屋根を12本の花崗岩の角柱で支えている造りが特徴。当時としては画期的なサイフォンの原理を応用し、花崗岩でできた水盤から常に水が噴き出る仕組みになっている。飛龍と立波の透彫や鯉など、すべて水にちなんだ彫刻ばかり施されている。
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東照宮内の神厩舎を過ぎた、参道の曲り角にある清楚な雰囲気の建物。元和4年(1618)、佐賀藩主・鍋島勝茂による奉納で、唐破風銅板葺きの豪華な屋根を12本の花崗岩の角柱で支えている造りが特徴。当時としては画期的なサイフォンの原理を応用し、花崗岩でできた水盤から常に水が噴き出る仕組みになっている。飛龍と立波の透彫や鯉など、すべて水にちなんだ彫刻ばかり施されている。
輪王寺大猷院の正門。高さ3m20cmの密迹金剛[みっしゃくこんごう]と那羅延金剛[ならえんこんごう]の2体の仁王像が左右に安置され、門を守っている。
東照宮最大の建物で別名、薬師堂といわれている。寛永の大造替のときに建てられ、単層入母屋造、高さ15m、正面20.8m、側面13m、総漆塗極彩色の華麗な建築である。当時、徳川家康は薬師如来の化身であると考えられたといわれ、内部には東照権現の本地仏、薬師如来を安置している。また、天井に描かれている鳴龍も有名。本地堂は、昭和36年(1961)に焼損しており、現在の建物は昭和38~43年(1963~68)に再建されたものである。
東照宮見学のハイライトである陽明門は、高さ11.1m、正面7m、側面4.4mの全ての面に江戸初期の装飾技術を集結させた彫刻を施している。極彩色で装飾されている2層の楼門は、1日中見ていても見飽きないことから日暮門[ひぐらしもん]の異名をもつ。12本の円柱が支えるため十二脚門ともよばれる。明治維新まで庶民がこの門を通ることは許されておらず、武士は刀を預け、勅使でさえも装束を改めたという。
東照宮入口に立つ、高さ9mと当時日本最大の石造りの明神鳥居。京都の八坂神社、鎌倉の鶴岡八幡宮と並ぶ日本でも有数の大石鳥居だ。元和4年(1618)、黒田長政が奉納したもので、正面には後水尾天皇しん筆の「東照大権現」の勅額が掲げられている。鳥居は耐震構造になっており、柱は2本つなぎ、笠石は3つの石を組むなどの工夫が見られる。鳥居手前の10段の石段は、下段と上段の幅の差が約1m、高さも10cmほど差があるため、遠近法により奥深く見える。
東照宮の本殿・拝殿の正門にあたり、門柱には唐木の寄せ木細工で造られた昇龍と降龍が飾られている。屋根の前後は「つつが」(唐獅子の説も)、左右には鰭[ひれ]切れの龍を置き、欄間には中国の故事にちなんだ彫刻があり見事だ。
東照宮内、拝殿の前に立つ本社の正門である唐門から、左右に延びた透かし彫りを施した塀(国宝)。黒漆に金の装飾金具を施した、黒を基調にした気品ある優美なたたずまいと、平和を象徴する野鳥や水鳥の透かし彫り彫刻がみられる。
東照宮境内にある三神庫[さんじんこ](重要文化財)のひとつ、上神庫[かみじんこ]の妻に施された彫刻が東照宮三彫刻の一つ想像の象。当時、象は誰も直接見たことがない想像上の動物であったため、いま見ると少々姿は違うが、想像だけで彫られたことを考えれば、驚かされる。
東照宮境内上神庫[かみじんこ]の向いに立つ、神に仕える神馬をつなぐ簡素な厩舎。境内唯一の素木[しらき]造の建物。猿は病気から馬を守るという信仰から長押上には8面の猿の彫刻があり、誕生から大人に成長する猿の姿を描きながら人の生き方を表わしている。その中でも参道側左から2番目にある「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻(重要文化財)は有名で、想像の象や眠猫とともに東照宮三彫刻といわれている。
東照宮境内、東廻廊潜門[ひがしかいろうくぐりもん](国宝)の蟇股[かえるまた]にある、有名な猫の彫刻。名工・左甚五郎作とも伝えられる。数ある東照宮の彫刻のうちで、作者が分かるのはこの猫だけ。彫刻の裏側は2羽のスズメが仲よく飛び遊ぶ図柄がデザインされ、眠猫と対になって太平の世を象徴しているともいわれる。
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