滝尾神社
女峰山の女神、田心姫命を祀る二荒山神社の別宮。本社から北西に約1km、杉並木の探勝路を進むとたどり着く。参拝のあとは、白糸の滝や運試しの鳥居、樹齢250~300年の滝尾三本杉などもチェックしておきたい。
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女峰山の女神、田心姫命を祀る二荒山神社の別宮。本社から北西に約1km、杉並木の探勝路を進むとたどり着く。参拝のあとは、白糸の滝や運試しの鳥居、樹齢250~300年の滝尾三本杉などもチェックしておきたい。
東照宮入口に立つ、高さ9mと当時日本最大の石造りの明神鳥居。京都の八坂神社、鎌倉の鶴岡八幡宮と並ぶ日本でも有数の大石鳥居だ。元和4年(1618)、黒田長政が奉納したもので、正面には後水尾天皇しん筆の「東照大権現」の勅額が掲げられている。鳥居は耐震構造になっており、柱は2本つなぎ、笠石は3つの石を組むなどの工夫が見られる。鳥居手前の10段の石段は、下段と上段の幅の差が約1m、高さも10cmほど差があるため、遠近法により奥深く見える。
東照宮境内の神楽殿の向かい側、廻廊に沿って立つ。かつては護摩堂とよばれ、神仏分離令以前は日光門主の輪王寺宮が天下泰平祈願の護摩修法を行っていたが、現在は祈祷や神前結婚式を行う場所となっている。
徳川3代将軍・家光公の墓所で「大猷院」とは家光公の諡名のこと。慶安4年(1651)、48歳でこの世を去った家光公の遺言を受け、4代将軍家綱公の命により、承応2年(1653)に完成した。東照宮の建築が白と金と赤を基調にしているのに対して、大猷院は金と黒と赤を基調にしている。大猷院は純粋な仏式の建物である。
輪王寺所管の堂塔は神仏習合の地である山内一円に散在している。平安時代に朝廷から一山の総号として満願寺[まんがんじ]の名を賜り、後に、円仁[えんにん]の来山により天台宗となった。鎌倉時代には皇族座主が始まり、以後も日光三所権現信仰の中心として栄えた。比叡山延暦寺[ひえいざんえんりゃくじ]、東叡山寛永寺[かんえいじ]と並び、天台宗三本山の一つに数えられ、大般涅槃経集解59巻は国宝。明治時代の神仏分離令によって、一時は満願寺に復称となったが、明治16年(1883)に寺号復活し、今日の輪王寺になった。
東照宮境内、眠猫のある東回廊裏手にあり、奥社の入口にあたる平入唐門。かつては将軍のみが通る不開門であった。
延暦7年(788)、勝道上人が建立した日光山輪王寺の別院。弘法大師や慈覚大師も訪れたことにより、ますます信仰も深まったといわれる。その名の通り境内には勝道上人が発見した薬師湯があり、行事のない日には観光客でも入浴できる。源泉かけ流しのにごり湯で、療養、延命のご利益のある名湯として親しまれている。
二荒山神社の神苑内(有料)にある大国主命[おおくにぬしのみこと]を祀った宝形造[ほうぎょうづくり]の建物。大黒天と同一視され、招福の神として親しまれている。内部には大国像や日光招き大国、宝刀などが納められている。毎月第2土曜(6・12月除く)には大国殿の縁日があり、6月の第1土・日曜には「だいこくまつり」が開催される。
石段の上に立つ楼門で、日光山内最大とされる。門の上部には後水尾上皇[ごみずのおじょうこう]の筆による「大猷院」の額が掲げられ、軒下には彩色豊かな装飾が施されている。名前の由来は、四天王のうちの表に祭ってある持国天と広目天から。
輪王寺大猷院の正門。高さ3m20cmの密迹金剛[みっしゃくこんごう]と那羅延金剛[ならえんこんごう]の2体の仁王像が左右に安置され、門を守っている。
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