
日光東照宮 拝殿 百間百種の龍
東照宮内、拝殿(国宝)の天井にひしめき合う100匹の龍の絵は、狩野探幽[かのうたんゆう]とその一門によって描かれたもの。一匹ずつすべての龍の図柄が違えて描かれている。ちなみに龍は、3代将軍家光の干支でもある。
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東照宮内、拝殿(国宝)の天井にひしめき合う100匹の龍の絵は、狩野探幽[かのうたんゆう]とその一門によって描かれたもの。一匹ずつすべての龍の図柄が違えて描かれている。ちなみに龍は、3代将軍家光の干支でもある。
二荒山神社神門をくぐると、正面にある。弥生祭をはじめ、日々の祭典、御祈祷などが行われる場所でもある。間口16m、奥行き12mの単層入母屋造の建物は、日光の殿堂の中では珍しく彫刻や文様がなく、簡素にして力強い。
東照宮内の神厩舎を過ぎた、参道の曲り角にある清楚な雰囲気の建物。元和4年(1618)、佐賀藩主・鍋島勝茂による奉納で、唐破風銅板葺きの豪華な屋根を12本の花崗岩の角柱で支えている造りが特徴。当時としては画期的なサイフォンの原理を応用し、花崗岩でできた水盤から常に水が噴き出る仕組みになっている。飛龍と立波の透彫や鯉など、すべて水にちなんだ彫刻ばかり施されている。
東照宮五重塔広場の正面、巨石の石垣上に立つ、総朱塗りの三間一戸の八脚門。寛永13年(1636)の寛永の大造替の際に、奈良東大寺の転害門の三棟造[みつむねづくり]を模したもので、背面には金色の狛犬が飾られ、柱の上部には獏や象をはじめ、66の彫刻が施されている。また、門の両脇には、「阿」[あ]、「吽」[うん]の一対の仁王像を安置。別名総門、仁王門。
東照宮内、拝殿の前に立つ本社の正門である唐門から、左右に延びた透かし彫りを施した塀(国宝)。黒漆に金の装飾金具を施した、黒を基調にした気品ある優美なたたずまいと、平和を象徴する野鳥や水鳥の透かし彫り彫刻がみられる。
東照宮境内にある三神庫[さんじんこ](重要文化財)のひとつ、上神庫[かみじんこ]の妻に施された彫刻が東照宮三彫刻の一つ想像の象。当時、象は誰も直接見たことがない想像上の動物であったため、いま見ると少々姿は違うが、想像だけで彫られたことを考えれば、驚かされる。
二荒山神社神苑内(有料)の二荒霊泉の手前奥、杉の巨木に囲まれて立つ神社。祭神は知恵の神とされる少彦名命[すくなびこなのみこと]。また、神社の隣には良縁の守護神といわれている縁結び笹がある。男女の良縁をはじめ、仕事や友人などあらゆる良縁に恵まれるといわれている。
天平神護2年(766)、はじめて大谷川を渡り、山内に足を踏み入れた勝道上人が立ちのぼる五色の雲を見て、この地が4神守護(青竜・朱雀・白虎・玄武)の霊地だと悟り御堂を建立。四本竜寺と名付けたと伝えられる。観音堂・三重塔(重要文化財)は江戸時代の再建で、三重塔前には勝道上人が拝したと伝わる紫雲石がある。
東照宮境内、陽明門の右手に位置。7m四方の入母屋造で内部は2室に分かれ、前が舞台、後ろが装束の間。北向きの舞台の正面は桟唐戸[さんからど]、残る三方は蔀戸[しとみど]で、周囲から舞台が見えるような造りになっている。欄間には牡丹、長押[なげし]には菊唐草、西側連子窓[れんじまど]下の胴羽目[どうばめ]には花篭の薄肉彫りが飾られ、緑青の連子窓や黒い柱、朱塗りの回縁など、色彩の対比が美しい。
東照宮の本殿・拝殿の正門にあたり、門柱には唐木の寄せ木細工で造られた昇龍と降龍が飾られている。屋根の前後は「つつが」(唐獅子の説も)、左右には鰭[ひれ]切れの龍を置き、欄間には中国の故事にちなんだ彫刻があり見事だ。
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