
日光東照宮 神楽殿
東照宮境内、陽明門の右手に位置。7m四方の入母屋造で内部は2室に分かれ、前が舞台、後ろが装束の間。北向きの舞台の正面は桟唐戸[さんからど]、残る三方は蔀戸[しとみど]で、周囲から舞台が見えるような造りになっている。欄間には牡丹、長押[なげし]には菊唐草、西側連子窓[れんじまど]下の胴羽目[どうばめ]には花篭の薄肉彫りが飾られ、緑青の連子窓や黒い柱、朱塗りの回縁など、色彩の対比が美しい。
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
東照宮境内、陽明門の右手に位置。7m四方の入母屋造で内部は2室に分かれ、前が舞台、後ろが装束の間。北向きの舞台の正面は桟唐戸[さんからど]、残る三方は蔀戸[しとみど]で、周囲から舞台が見えるような造りになっている。欄間には牡丹、長押[なげし]には菊唐草、西側連子窓[れんじまど]下の胴羽目[どうばめ]には花篭の薄肉彫りが飾られ、緑青の連子窓や黒い柱、朱塗りの回縁など、色彩の対比が美しい。
輪王寺大猷院の正門。高さ3m20cmの密迹金剛[みっしゃくこんごう]と那羅延金剛[ならえんこんごう]の2体の仁王像が左右に安置され、門を守っている。
東照宮境内、表門をくぐると左手に、神馬をつなぐ厩[うまや]・神厩舎[しんきゅうしゃ](重要文化財)が立つ。その神厩舎の長押[なげし]上に施された8態の猿の彫刻は、子供から大人に成長する猿の姿が描かれ、人の一生を物語っている。なかでも子供時代を表した三猿の彫刻が有名。悪いことは、見ざる・言わざる・聞かざるという意味が込められている。
東照宮境内、二ノ鳥居をくぐってすぐ左側に見える、極彩色の彫刻で飾られた建物。重層宝形造という二重になった屋根が特徴で、下層、上層には軒裏までかざり金具がふんだんに使われ、極彩色の彫刻が施されている。内部には、輪蔵とよばれる八角形の回転式大書架があり、天海版の一切経1456部、6323巻が納められていた。その前面には輪蔵を発明した中国人親子の木像が置かれている。その像の子供たちが笑っている姿から「笑い堂」ともよばれる。
輪王寺三仏堂の後方にある朱塗りの小さな堂。毘沙門天、大黒天、弁財天の開運三天が祀られている(現在は護摩堂に安置)。
徳川3代将軍・家光公の墓所で「大猷院」とは家光公の諡名のこと。慶安4年(1651)、48歳でこの世を去った家光公の遺言を受け、4代将軍家綱公の命により、承応2年(1653)に完成した。東照宮の建築が白と金と赤を基調にしているのに対して、大猷院は金と黒と赤を基調にしている。大猷院は純粋な仏式の建物である。
石段の上に立つ楼門で、日光山内最大とされる。門の上部には後水尾上皇[ごみずのおじょうこう]の筆による「大猷院」の額が掲げられ、軒下には彩色豊かな装飾が施されている。名前の由来は、四天王のうちの表に祭ってある持国天と広目天から。
東照宮の一ノ鳥居をくぐり抜け、五重塔と表門に囲まれた大きな正方形の広場。表門を支える巨石を重ねた石垣があり、阿房丸とよばれる巨大な一枚岩は高さ3.25m・幅6.3m。圧倒される迫力がある。休憩処は、日光山内を歩き回った後のひと息にも好適。ここから二荒山神社へ向かう上新道[かみしんみち]が延びている。実際に1000人が立てる広さがある、一ノ鳥居前の石段の部分を千人枡形とする説もある。
東照宮には121基の燈籠があるが、中でも有名な燈籠がこれ。伊達政宗公がポルトガルから取り寄せた、南蛮鉄で鋳造させたといわれる2基の燈籠。経蔵の前、陽明門へ向かう石段の右横に位置し、反対側には薩摩藩主・島津家久公が奉納した唐銅[からがね]燈籠が立っている。ちょうど陽明門を南北の大藩が固める形になり、当時の徳川幕府の権力の強大さがうかがえる。
東照宮境内、眠猫のある東回廊裏手にあり、奥社の入口にあたる平入唐門。かつては将軍のみが通る不開門であった。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。