
巌龍神社
長野川と鷹鳥屋[たかとりや]川の合流点に高さ約54mの巨岩があり、そのふもとに不動尊を祭っている。岩の面は龍がうねった形に似ている。2月28日にはこの岩をご神体とした裸参りが行われ、無病息災を祈る。
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長野川と鷹鳥屋[たかとりや]川の合流点に高さ約54mの巨岩があり、そのふもとに不動尊を祭っている。岩の面は龍がうねった形に似ている。2月28日にはこの岩をご神体とした裸参りが行われ、無病息災を祈る。
嘉祥3年(850)に慈覚大師によって開かれた、天台宗の東北大本山。14世紀に金色堂と経蔵を残して焼失したが、その後さまざまな堂塔が再建されている。表参道の月見坂の入口で弁慶の墓と伝えられる五輪塔を見て、約300mの坂を上る。中腹の東物見台からは、束稲山[たばしねやま]と北上川が一望。杉木立の中に点在する本堂や讃衡蔵などの堂塔を見るうちに国宝の金色堂に至る。かんざん亭では軽食と休憩がとれる。本堂で座禅と写経の体験(各1000円、要予約)も可。
緑豊かな天満宮の丘にひっそりとたたずむ神社。石川啄木が読書や思索のために散策に訪れたという境内には、ユーモラスな顔立ちの一対の狛犬が鎮座し、啄木はこれをこよなく愛したといわれている。松尾芭蕉の碑も見られる。
社前の木に、左手だけで赤い布を結べたら縁が結ばれるといわれる恋愛の神様。赤い布は境内の無人売店で販売。
中尊寺境内にある、藤原氏4代の廟所。天治元年(1124)、清衡の建立と伝わる。鉄筋コンクリートの覆堂で保護された堂の内外は漆に金箔が押され、柱や須弥壇には金銀珠玉がちりばめられている。須弥壇の中には、中央に清衡、向かって左に基衡・右に秀衡の遺体を安置。秀衡の側に4代泰衡の首級を納める。壇上には本尊阿弥陀如来を中心に、黄金に輝く33体の仏像が安置されている。
毛越寺一山の根本道場。平安様式の建物で、平成元年(1989)に再建された。本尊は平安時代作の薬師如来。両脇には日光・月光菩薩、さらにその周りには本尊を守護する四天王が安置されている。講話を聞いたり、座禅体験(要予約)も可。
延徳2年(1490)に開山し、山門には3.5mの仁王像が安置される曹洞宗の寺。境内左手の十王堂の前に、頭に円形のくぼみのあるカッパ狛犬がある。昔、寺が火事になったときに、小川に住んでいたカッパが火消しをしたことから祭られるようになった。本堂には、体の悪い部分をなでると痛みが取りのぞかれるという木像のオビンズルサマがある。
高さ9mの巨石が矢立松と丈比べをしたところ、石の分際で樹木と争うなどけしからんと天狗に下駄で蹴られ、上の部分が欠けたといわれる石。
嘉祥3年(850)、中尊寺と同じく慈覚大師が開いた天台宗の別格本山。藤原基衡・秀衡の時代、金銀をちりばめ、紫檀、赤木をつぎ、万宝を尽くしたといわれる伽藍や堂塔40、僧坊500が建ち並んでいた。吾妻鏡に霊場の「荘厳吾朝無双なり」と記され、中尊寺をしのぐ華麗さを誇ったといわれるが、嘉禄2年(1226)の大火を初めとする相次ぐ兵火や野火で焼失。現在は再建された本堂や常行堂などが立ち、浄土庭園が平安の頃と変わらぬ美しさを見せている。
神亀5年(728)開山と伝わる東北屈指の天台宗の古刹。地元では「御山」とも呼ばれ、本堂は万治元年(1658)、盛岡藩主・南部重直によって建立されたもので、本堂・仁王門ともに国指定重要文化財。本尊は聖観音立像で、十一面観音立像とともに、平安中期の作として国の重要文化財に指定されている。昭和末期には、第73代住職となった僧侶で作家の瀬戸内寂聴師の「青空説法」で知られるようになった。6月中旬~8月下旬にはアジサイが咲き誇り、7月にはあじさい祭りも開催される。
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