福王寺
弘仁年間(810~824)、弘法大師が北陸巡錫の際に創建した真言宗の古刹。本堂内には一本の木から彫った一木造の仏像(県指定文化財)3躯を安置。なかでも高さ160cmの不動明王立像は兵火を免れて今日に伝わる価値あるもの。阿弥陀如来座像は、県内では珍しい来迎形の坐像である。
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弘仁年間(810~824)、弘法大師が北陸巡錫の際に創建した真言宗の古刹。本堂内には一本の木から彫った一木造の仏像(県指定文化財)3躯を安置。なかでも高さ160cmの不動明王立像は兵火を免れて今日に伝わる価値あるもの。阿弥陀如来座像は、県内では珍しい来迎形の坐像である。
加賀前田家3代当主・前田利常が、2代利長の三十三回忌にあたり、正保3年(1646)に造営した墓所。墓域の中心には二段築造の御廟(幅15.5m)が位置。御廟の全面は加賀の戸室石で覆われ、立面は狩野探幽の下絵と伝承される130枚もの蓮花図が陽刻。江戸時代の石造美術としても高い価値を有している。菩堤寺の瑞龍寺、菩堤寺と墓所を結ぶ八丁道、墓守寺である繁久寺からなる広大な空間は、近世大名墓所として破格の規模と内容を誇るものだ。
奈良、鎌倉と並んで有名な、大仏寺(尼寺)所有の大仏。創建は延享2年(1745)だが、幾度かの焼失を経て現在の大仏は昭和8年(1933)に建立された銅造阿弥陀如来座像。総高15.85m、総重量65トン、4.54mの大円輪光背がそびえる堂々とした姿は、高岡銅器職人の傑作といえる。歌人・与謝野晶子が「鎌倉大仏より一段と美男」と誉めたたえたことでも知られる。
浄土真宗大谷派、蓮如上人開基の寺。蓮如上人が文明3年(1471)に加賀で開山し、永禄2年(1559)に城端へ移転。境内には龍の彫刻を施した山門や鐘楼などが並ぶ。7月22~28日の虫干法会では、蓮如ゆかりの品々や前田家から寄進された寺宝を公開。優美な彫刻が施された山門と重厚な造りの本堂に加え、太鼓楼と鐘楼も富山県指定文化財。本堂では朝は6時30分~、午後は14時~、365日欠かすことなくお勤めと法話が行われている。宿坊宿泊可(要予約)。
蓮如上人の高弟、赤尾道宗[どうしゅう]が室町時代末期に開いた浄土真宗の寺院。併設の赤尾道宗遺徳館(料金:300円、時間:10~15時、休日:12~3月)では、道宗ゆかりの品や棟方志功等の作品を展示。
鎮座の年代は、約2000年前、景行天皇の時代といわれており、縁結び、医薬医療、国土開拓、農耕の神様である大己貴命(大国主命)を主神に、無病息災、延命長寿の神様である天活玉命と、産業の神様である五十猛命を祀っている。
明徳元年(1390)、本願寺5代綽如上人[しゃくにょしょうにん]が浄土真宗の布教の拠点として開創。天正9年(1580)兵火に罹り、宝暦12年(1762)に類焼し、明治12年(1879)の焼失を経て、現在の本堂は明治18年(1886)に再建されたもの。間口46m、奥行43mの単層入母屋造。大きさは全国で4番目ともいわれる建物だ。このほか井波彫刻の技術の高さを見ることができる太子堂、山門、式台門、太鼓堂・台所門など北陸随一の伽藍を誇る。宝物館では、瑞泉寺の発展や歴史を感じさせる法宝物を展示。
文明年間(1469~87)に創建されたと伝えられる浄土真宗の古刹。石山合戦の際には塩硝(火薬の原料)を本願寺に送る役割を果たしたといわれ、江戸時代には加賀藩からも手厚い保護を受けた。珍しい茅葺き屋根の山門(鐘楼門)は、飛騨の匠の作といわれている。また、蓮如[れんにょ]上人の書や顕如[けんにょ]上人の香炉などを収蔵している。
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