前田利長墓所
加賀前田家3代当主・前田利常が、2代利長の三十三回忌にあたり、正保3年(1646)に造営した墓所。墓域の中心には二段築造の御廟(幅15.5m)が位置。御廟の全面は加賀の戸室石で覆われ、立面は狩野探幽の下絵と伝承される130枚もの蓮花図が陽刻。江戸時代の石造美術としても高い価値を有している。菩堤寺の瑞龍寺、菩堤寺と墓所を結ぶ八丁道、墓守寺である繁久寺からなる広大な空間は、近世大名墓所として破格の規模と内容を誇るものだ。
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加賀前田家3代当主・前田利常が、2代利長の三十三回忌にあたり、正保3年(1646)に造営した墓所。墓域の中心には二段築造の御廟(幅15.5m)が位置。御廟の全面は加賀の戸室石で覆われ、立面は狩野探幽の下絵と伝承される130枚もの蓮花図が陽刻。江戸時代の石造美術としても高い価値を有している。菩堤寺の瑞龍寺、菩堤寺と墓所を結ぶ八丁道、墓守寺である繁久寺からなる広大な空間は、近世大名墓所として破格の規模と内容を誇るものだ。
標高3003mの霊峰立山。その主峰雄山の山頂に鎮座する。山麓の芦峅寺[あしくらじ]にある芦峅中宮祈願殿、岩峅寺にある前立社壇[まえだてしゃだん]の3社殿から成り立つ神社で、山頂の小さな社殿に伊邪那岐命[いざなぎのみこと]と天手力男命[あめのたぢからおのみこと]を祀る。お祓いが受けられる参拝は7月1日~9月30日のみで、お祓いを受けた後は、御神酒[おみき]が振舞われる。
放生津八幡宮の秋季例大祭は一般に新湊曳山まつりと呼ばれ、13台の曳山が供奉されることで有名。天平18年(746)、大伴家持が豊前国の宇佐八幡宮から勧請したとされる。現在の社殿は文久3年(1863)に造営されたもので、境内には家持が『万葉集』に詠んだ家持の歌碑、奥の細道の松尾芭蕉の句碑などもある。
立山信仰の里、芦峅寺[あしくらじ]地区に鎮座。立山詣は岩峅寺[いわくらじ]にある雄山神社前立社壇[まえだてしゃだん]とこの祈願殿に詣でてから、雄山山頂の峰本社を参拝するのが習わしだった。かつては立山曼荼羅[まんだら]にも見られるような伽藍[がらん]が立ち並んでいたが、明治の廃仏毀釈[はいぶつきしゃく]で大部分の建物が破壊され、今は講堂が雄山神社祈願殿として残る。境内には立山を開山した佐伯有頼[さえきありより]公の霊廟もある。参道沿いの樹齢約500年のタテヤマスギ(天然記念物)の木立も見事だ。
鎮座の年代は、約2000年前、景行天皇の時代といわれており、縁結び、医薬医療、国土開拓、農耕の神様である大己貴命(大国主命)を主神に、無病息災、延命長寿の神様である天活玉命と、産業の神様である五十猛命を祀っている。
明治2年(1869)、この地で年貢軽減を訴えて農民たちが一揆を起こした際の決起場所となった寺。現在は、夏になれば前の畑にハスの花が咲き誇る。毎月7日には書写をしており、六字名号、三誓偈ともに1000円(筒包2000円)でもとめることができる。
建徳元年~文中元年(1370~73)創建の曹洞宗の名刹。立山権現がきこりの姿となって大徹禅師を導き、寺院の建立をすすめたと伝わる。大道場として栄えたが、大伽藍は2度の火災で焼失。現在の堂宇は、昭和54年(1979)の再建。禅師の姿は木像(県文化財)として残り、大伽藍を造った大工たちは18神匠として祠られている。禅師ときこりが対座したという坐禅石は、いまも東南の林中に残る。山道の栂並木は県天然記念物。
高野山真言宗の寺。白鳳10年(681)の創建時に植えたとされる境内の大イチョウ(天然記念物)は、幹周り約11m、樹高約24mの巨木。また、例年4月18日に開催されるごんごん祭りは、江戸時代の干ばつの際、農民が寺の鐘を鳴らして雨乞いをしたことがその名の由来。力自慢の男衆が長さ2m、重さ60kgの丸太を担ぎ、鐘を何回鳴らせるかを競う。
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