善水寺
和銅年間に創建され、最澄[さいちょう]によって再興された緑深い岩根山中腹に立つ名刹。境内には貞治5年(1366)に再建された檜皮葺き入母屋造の本堂(国宝)があり、堂内には平安期のものをはじめ約30体の仏像が安置されている。そのうち15体は国の重要文化財に指定されている。桓武[かんむ]天皇の病気を治癒したことにより、寺名の由来ともなった清水が今も湧き出す。
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和銅年間に創建され、最澄[さいちょう]によって再興された緑深い岩根山中腹に立つ名刹。境内には貞治5年(1366)に再建された檜皮葺き入母屋造の本堂(国宝)があり、堂内には平安期のものをはじめ約30体の仏像が安置されている。そのうち15体は国の重要文化財に指定されている。桓武[かんむ]天皇の病気を治癒したことにより、寺名の由来ともなった清水が今も湧き出す。
天平13年(741)に行基が開いた寺。湖東三山のひとつで、本堂(国宝)をはじめ二天門(重要文化財)や三重塔(重要文化財)などの文化財が並ぶ。行基の作と伝えられる本尊・聖観世音菩薩は住職一代につき1度のみの公開だが、重要文化財の指定を受けた仏像10数体が拝観できる。桃山~江戸中期に造られた庭園(名勝)は近江一と称される。
赤門と呼ばれる、朱塗りの山門で有名な寺。石田三成の居城・佐和山城の大手門を利用したものと伝わる。本尊阿弥陀如来は淀殿の念持仏で、大坂城より持ち出されたといわれる。書院の地蔵尊と千体仏は石田三成の念持仏とされ、紅白の砂利を火と水にみなした「彼岸白道の庭」がある。本堂には彦根藩の徳川家康の位牌を安置する。江戸時代は朝鮮通信使の宿館でもあった。
延暦11年(792)、この地を訪ねた最澄が霊夢を感じたことから、イチイの木に刻んだ十一面観音菩薩(重要文化財)を本尊として祭る。高さ3.3mの日本最大級の木造坐像で、11月3日の糖尿病の御加持ほか春、秋に特別公開される。
弓の名手・那須与一の孫である愚咄坊が開基したという、真宗大谷派の寺院。表門の瓦には那須与一に由来した扇の紋がある。犬上郡石畑に建設されたが、天正9年(1581)に現在地の金堂地区に移転した。本堂は京都・東寺の五重塔などを手がけた棟梁による、大きな屋根が印象的。間口30m、奥行35mで滋賀県下2番目の大きさを誇る国の重要文化財。
肩幅が広くお腹の肉付きも豊かで、表情もふっくらとしているため、見ている人を穏やかな感情にさせる十一面観音立像(重要文化財)を安置する。拝観は携帯電話番号へ事前に連絡を。正妙寺の千手千足観音立像も同時に拝観できる。
近江八景の一つ、「堅田の落雁」として知られる景勝地。琵琶湖につき出すように建てられた堂宇が、湖に浮いているかのように見えることから名付けられた。正式には海門山満月寺と呼ばれ、京都の大徳寺に属する臨済宗の禅寺。長徳年間(995~999)頃、源信僧都が阿弥陀仏を刻んで、琵琶湖の交通の安全を願ったのが始まりと伝わる。現在の浮御堂は、昭和12年(1937)に再建されたもの。本尊で秘仏の聖観音坐像(重要文化財)は、薬師如来像や十一面観音像とともに観音堂に安置されている。この地を好んでこの地を好んで訪れた芭蕉の句碑も立つ。
聖徳太子の開基と伝えられる天台宗の古刹。石垣と堀で囲まれた城郭のような外観は、中世から近世にかけて湖上交通の管理(船奉行)に携わった寺勢を物語る。境内には檜皮葺きで禅宗様式の阿弥陀堂(重要文化財)や、江戸初期に移築された書院(重要文化財)がある。拝観は要予約。
三成が鷹狩で立ち寄った秀吉に茶を献じて、その才能を見出されたという逸話が残る。
西暦131年に大嶋神社として創建され、正暦2年(991)に宇佐八幡宮を勧請して以来、近江商人の信仰を集めてきた古社。エノキやムク、杉などの古木が生い茂る境内には、どっしりとした拝殿や本殿が静かに佇んでいる。社宝の安南渡海船額(重要文化財、非公開)は、安南(ベトナム)貿易で活躍した豪商・西村太郎右衛門が正保4年(1647)に奉納したもの。寛永13年(1636)に出された鎖国令で帰国できなくなり、望郷と鎖国解禁の思いを込めて自らの姿を描かせた。絵馬殿で複製を拝観できる。3月の左義長まつり、4月の八幡まつりも全国的に有名。ともに国選択無形民俗文化財。
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