
関帝廟
華僑の厚い信仰を集める中国寺院。本尊は『三国志』で知られる蜀[しょく]の武将関羽[かんう]で、道教では武の神、財の神として崇められている。
- 「花隈駅」から徒歩8分/「県庁前(兵庫)駅」から徒歩10分
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華僑の厚い信仰を集める中国寺院。本尊は『三国志』で知られる蜀[しょく]の武将関羽[かんう]で、道教では武の神、財の神として崇められている。
江戸時代には、東本願寺の別院で「有馬御坊」とよばれていた真宗大谷派の寺。金の湯から湯本坂を5分ほど上ったところにある。「未開紅」と名付けられた樹齢二百余年の紅梅があり、3月中旬になると梅の花を楽しみに多くの人が足を運ぶ。その実を食べれば子宝に恵まれると伝えられ、「はらみの梅」「にんしんの梅」ともいわれている。
淀川の分流である神崎川に形成された三角州から発展した尼崎は、古くから海開の要衝であった。大物主神社は、水路を往来する人々の守護神であったといわれており、鎌倉時代初期に源義経主従が京から家臣の弁慶らとともにこの地へ逃れ、大物浦からの船出を控えた源義経が身を潜めていたと伝えられている。
JR立花駅下車、線路の北側にそって西へ徒歩で8分ほどのところ。阪急武庫之荘駅からまっすぐ南へ下っても行ける。道路から一段高く築かれた境内は、全体が五世紀ごろの築造になる前方後円墳(水堂古墳)である。水堂古墳の被葬者と、阪神大震災の犠牲者の霊に捧げる意を込めて、滋賀大津在住の日本画家 鈴木靖将が描いた当社拝殿の天井画「万葉の花」は、他に類を見ない意匠と色彩の傑作で、震災復興の美しくも貴重なシンボルでもある。近年では人形供養祭での参拝が多い。
鎌倉時代から室町時代にかけて強大な勢力を誇った、天台宗の古刹。藤原鎌足の長男・定恵[じょうえ]和尚が開基、孫の宇合[うまかい]によって霊亀2年(716)に創建されたと伝わる。本堂は神戸市内で唯一の国宝建造物。三重塔、重要文化財の仁王門・阿弥陀如来像も美しい。境内には原生林が広がり、四季折々の美しさを見せる。
平家による兵火で焼失した東大寺を再建するため、建久元年(1190)から8年の歳月をかけて荘園の再開発と信仰の拠点として重源上人[ちょうげんしょうにん]によって建立された寺。国宝、重文級の文化財が数多く残され、なかでも大仏様(天竺様)の代表的建築といわれる浄土堂(国宝)と、その内部に安置された阿弥陀三尊立像(国宝)は必見。鎌倉時代の名仏師快慶作と伝わる三尊像が雲座に立ち、背面の透かし蔀戸[しとみど]を通して射す西日を背景に、西方にあるという極楽浄土からの阿弥陀の来迎を表現している。
建立1800年以上の歴史を誇る神社で、恋愛成就のご利益があると名高い。気になる人や理想のタイプを「愛の手紙」に詳しく書き、「愛のポスト」に投函することで、恋愛が成就するといわれている。ほかにハートの絵馬で願掛けできたり、恋みくじが引けたりと、恋に悩む人に寄り添ってくれる。
南北朝時代に活躍した智・仁・勇の名将、楠木正成公を祀り、楠公[なんこう]さんの愛称で親しまれている神社。境内の表神門右手には、水戸光圀[みつくに]直筆の正成公の墓碑がある。宝物殿には、書画や武具など、正成公ゆかりの品々が展示されている。都会の喧騒の中にあって、広々と緑あふれる境内は都会のオアシス。毎年正月には、全国から100万人近くの参拝客が訪れる。
風見鶏の館のすぐ横、石段を登りつめた所にあり、風見鶏の館はもとより、神戸市街を見渡せる絶好の展望名所として有名。北野という地名も、この神社に由来するといわれている。その昔、平清盛公が京都の北野天満宮を勧請して建立したといわれ、学問の神様・菅原道真公を祀る。
仁和2年(886)開基の真言宗の古刹。正式には上野山福祥寺という。境内には義経の腰掛松や敦盛の首塚、弁慶の鐘など源平ゆかりの史跡や芭蕉などの文学碑が数多く点在する。宝物館では敦盛愛用の「青葉の笛」などを展示。
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