
温泉寺・湯泉神社
温泉寺は奈良時代に僧・行基が建立。本堂の波夷羅大将立像は重文。湯泉神社は有馬温泉を発見したといわれる大己貴命、少彦名命と熊野久須美命を祀っている。
- 「有馬温泉駅」から徒歩7分
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温泉寺は奈良時代に僧・行基が建立。本堂の波夷羅大将立像は重文。湯泉神社は有馬温泉を発見したといわれる大己貴命、少彦名命と熊野久須美命を祀っている。
商売繁盛の神様として信仰されているえびすさまを祀る、全国の総本社。福の神として信仰をあつめ、1月9~11日の「十日えびす」は毎年100万人もの参拝者で賑わう。特に1月10日早朝に行われる「開門神事福男選び」が有名。プロ野球春の公式戦前には阪神タイガースが必勝祈願に訪れることでも知られる。室町時代に造られた247mの大練塀[おおねりべい]、慶長9年(1604)に豊臣秀頼の寄進による表大門はともに国の重要文化財に指定されている。
江戸前期の臨済宗(禅宗)の名僧で、当時生身の釈迦と仰がれた盤珪禅師[ばんけいぜんじ]が郷里の網干に創建。布教活動の拠点とした。建物17棟は姫路市の文化財に指定、兵庫県の文化財に指定されている仏像などを所蔵している。境内には、同時代の著名な女流俳人で盤珪禅師に帰依した田捨女[でんすてじょ]の墓もある。また、毎年4月の第1日曜日と、その前日に行われる献茶会は大茶碗を用いることで知られている。
花岳寺の中にある施設。浅野長矩公の位牌と大石家守り本尊・千手観音像を正面に祀り、右側に23人(表門組)と萱野三平の木像を、左側に24人(裏門組)の木像を安置する。いずれも義士33回忌(1735)から作り始められ100回忌に完成、京都の名工の作とされる。すべて赤穂近隣各地からの奉納で、当時を彷彿させるものがある。
斉明天皇元年(655)創建の古刹。明智光秀の丹波攻めの時にすべての堂宇が失われたが、慶安元年(1648)に再建された。本堂前には、現代築庭の第一人者・重森三玲氏が裏山にある高さ約12m、幅約20mの神格化された巨岩(磐座)から発想を得て造った日本庭園「四神相応の庭」がある。
天平10年(738)、道智上人開基と伝わる古刹。和様・唐様・天竺様の折衷様式の本堂(重要文化財)は但馬地方最古の木造建造物である。本尊十一面観音(重要文化財)、十六善神像・宝篋印塔[ほうきょういんとう](重要文化財)など寺宝も多い。境内に温泉寺宝物館あり。麓からの石段は450段。ロープウェイを利用の場合、中間駅で下車し、苔むした石の参道を歩くのもよい。
温泉街のほぼ中ほど、春来川の西岸にある古刹だ。但馬七花寺霊場のひとつ。メインの花は珍種の正福寺桜、七花寺が共通の秋の七草を植えている。冬以外はナデシコなどさまざまな花が参拝者を迎える。また、共通の祈願太鼓は参拝者の心に響くと評判。
平家による兵火で焼失した東大寺を再建するため、建久元年(1190)から8年の歳月をかけて荘園の再開発と信仰の拠点として重源上人[ちょうげんしょうにん]によって建立された寺。国宝、重文級の文化財が数多く残され、なかでも大仏様(天竺様)の代表的建築といわれる浄土堂(国宝)と、その内部に安置された阿弥陀三尊立像(国宝)は必見。鎌倉時代の名仏師快慶作と伝わる三尊像が雲座に立ち、背面の透かし蔀戸[しとみど]を通して射す西日を背景に、西方にあるという極楽浄土からの阿弥陀の来迎を表現している。
加西市の指定文化財である五百羅漢を有する天台宗の寺院。境内に並ぶ400体以上の石仏は、誰が何のために作ったのか不明。それぞれ表情が異なり、自分の顔に似たものが必ずあると言われている。また、寺院入口には背中に慶長15年(1610)と刻まれた仁王像の石仏があり、奥には江戸期作の来迎二十五菩薩などもある。
天平17年(745)に創建され、天明年間(1781~89)に密蔵[みつぞう]・密英[みつえい]の二上人により再建された古刹。江戸中期の絵師円山応挙[まるやまおうきょ]とその弟子たちの手になる襖絵を多数所蔵し、別名応挙寺ともよばれている。有名な『老松孔雀図』をはじめ、一門の障壁画165面すべてと仏像3体が国の重要文化財になっている。円山応挙「孔雀の間」「芭蕉の間」「山水の間」三部屋の襖絵は「再製画」のため、座敷の中まで入ってすぐ近くで襖絵を拝観できる。
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