藤井寺
奥深い山を背に本堂が立つこの寺は、弘法大師が42歳の時に厄難を除こうと刻んだ薬師如来像が本尊として祀られている。渓流の清らかなこの地に心打たれ、現在の境内からさらに山中に入った八畳岩の上に護摩壇を築いて17日間修行を積み、五色の藤を植えたことから寺の名が付けられた。平安時代には真言密教の道場として栄え、七堂伽藍が並んだが、戦国期に長宗我部勢の兵火で焼失。延宝年間(1673~81)に臨済宗の南山禅師が再興し、現在の宗派に改めた。八畳岩から12番札所への遍路道は難所として有名。
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奥深い山を背に本堂が立つこの寺は、弘法大師が42歳の時に厄難を除こうと刻んだ薬師如来像が本尊として祀られている。渓流の清らかなこの地に心打たれ、現在の境内からさらに山中に入った八畳岩の上に護摩壇を築いて17日間修行を積み、五色の藤を植えたことから寺の名が付けられた。平安時代には真言密教の道場として栄え、七堂伽藍が並んだが、戦国期に長宗我部勢の兵火で焼失。延宝年間(1673~81)に臨済宗の南山禅師が再興し、現在の宗派に改めた。八畳岩から12番札所への遍路道は難所として有名。
寺名は大師が幼少時代に、書道や学問を学んだことが由来。境内に「お筆の加持水」が湧く。庫裡裏には室町の作庭とされる書院式庭園がある。薬師如来像は重要文化財。
延暦8年(789)に弘法大師が創建したという四国霊場第66番札所。香川県の大野原からロープウェイで登り、雲辺寺山(標高927m)山頂は徳島県。四国霊場で最も高所にあるため、「四国高野」ともいう。静寂な境内に本堂、大師堂などが立ち並ぶ。
阿波国に入国した蜂須賀家政が城下町の建設にあたり、各地にあった寺院を集めて作った町。ポルトガル人の文豪モラエスや国学者の野口年長の墓がある潮音寺、懸魚県選定保存技術保持者である中山利夫の彫刻がある東光寺など多くの寺院が立ち並ぶ。
霊山寺の西、約1kmのところにある四国霊場第2番札所。朱塗りの仁王門をくぐると美しい日本庭園が広がり、その先に弘法大師が植えたという長命杉がある。本堂には平安時代末期の作とされる本尊の阿弥陀如来坐像(重要文化財)を安置。
「一番さん」と親しまれる四国霊場第1番札所。天平年間(729~49)、聖武天皇の勅願道場として行基が創建したといわれ、一年中白装束のお遍路さんで賑わう。1番札所の札がかかる仁王門をくぐると鯉が泳ぐ池があり、大師堂や多宝塔、本堂などが立ち並ぶ。1番札所にふさわしく、納経帳や遍路用の衣装、金剛杖、菅笠などを販売。ガイドブックもある。わからないことは、駐車場横の売店に尋ねよう。毎年2月3日には、節分・開運星祭り祈願が行われる。
弘仁6年(815)の開基と伝わる四国霊場第23番札所。本堂へは女厄坂33段、男厄坂42段の石段があり、厄年の参拝者が1段ごとに硬貨を置いて登る姿が見られる。さらに、男女厄[だんじょやく]坂61段を登ると昭和39年(1964)に四国霊場開創1150年を記念して建てられた瑜祇塔[ゆぎとう]がある。
白鳳元年(672)の創建と伝わる古刹。多くの宝物を所有し、聖観音坐像(重要文化財)は立てば1丈6尺(約5m)にもなるほどで、寺名の由来になっている。境内には、本堂(重要文化財)、観音堂(重要文化財)や、三門(重要文化財)、経蔵(重要文化財)などがある。
標高約600mの箸蔵山頂に立つ寺。天長5年(828)、弘法大師が四国行脚の途中、金毘羅大権現の神託を受けて創建したと伝わり、金毘羅奥の院ともいわれる。四国別格霊場札所として参詣者が多く、本坊から石段の参道に沿って護摩殿・鐘楼・薬師堂・本殿・観音堂などの諸堂が連なる。そのほとんどが国の重要文化財に指定されている。
吉野川を望む高台にある。徳島の名所として歌に詠まれている「鶯之瀧」を有する緑に囲まれた渓谷や、鶴亀の石組を配した枯山水の庭園は必見。庭園には紅葉が多く、秋の美しさは格別だ。料理は1週間前までに5名以上で予約をすれば、精進料理を味わうこともできる。作庭は斎藤忠一氏。
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